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いろんな事件が起きる今回のブエルタ
このブエルタ、誰が優勝するのかはまだ見えてこないけど、けっこう歴史的なことが起きている。
ローラン・フィニョンやスカイのマッサージ師の死。
それから、そのスカイの全員リタイア。これは1991年のツール・ド・フランスを思い出す。
当時世界最強の力を誇っていたオランダのPDMが第10ステージでリタイアと不出走を5名も出し、そして残りの4名も翌日すべて欠場してしまったのだ。
チーム側は声明を発表したが内容は二転三転し、そのたびに信頼を失っていった。当初は食中毒と言っていたのだけど、マッサージ師もメカニックもピンピンしていたのだ。
だから、なんらかの薬物を摂取した結果であることは明らかだった。今から考えると、証拠のないものは罰せずという寛容な時代だった。
もちろん、今回のスカイは事情が違う。

それからアンディ・シュレクとオグレディがリースによって家に帰された事件。
重要なレースで監督の逆鱗に触れて家に帰されたのはちょっと記憶にない。
強いていえば、2001年のジロで薬物の所持を認めたフリーゴを、ファッサの監督フェレッティが家に帰した...というより、その場で解雇したことかなあ。
いずれにせよ、今回の件もけっこうすごいことである。

それから今日のアントンのリーダージャージを着てのリタイア。
1980年ツールのイノーのリタイアが有名だけど、僕はまだこの仕事をやっていなかった。
僕のキャリアの中では、1991年のツールでマイヨ・ジョーヌを着たデンマークのソレンセンがゴール近くで鎖骨を折ってリタイアしたこと。
本人は今、このブエルタにテレビの仕事で来ていて、今日も山頂で会った。
それから、1999年のジロのパンターニの失格。あのときもパンターニはマリア・ローザを着ていながらの失格だった。
今回のアントンの事故とは比較にならないほど衝撃的で、これが元でパンターニは死んでしまった。
ちなみに、そのときの審判が、今回の審判のメンバーの一人である。あの日、写真に撮ったから覚えているのだ。
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