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ミラノの家から
ブエルタと世界選がやっと終わった。
世界選は日帰りだったとはいえ、早朝から夜遅くまでの仕事なので、疲労感は頂点に来ている。
自分の仕事に労働基準法が当てはめられるのだったら、もう完全な超過労働。
まあ、この仕事が好きだから、文句は言えない。

世界選はイタリアの完全な負け。ガゼッタは、なにが悪かったのか検証している。
勝って当然な国から入賞者すら出ないとなると、責任の追求が始まる。

僕はこのあと家で仕事を続け(世界選の写真の整理だけであと数日かかる)、2週間後のパリ〜トゥール、そして来年のツール・ド・フランスのプレゼンテーションに参加するのにパリに滞在する予定だ。
そのあとのジロ・ディ・ロンバルディーアがヨーロッパでの最後の仕事となる。
ミラノから
ブエルタ・ア・エスパーニャが終わったあと、マドリードからサラゴサまで走り、翌日は1300km走って自宅に到着。ロングドライブは無事終わったけど、ガーミンのカーナビはいまいち信頼性に欠けることが分かって来た。

翌日からすぐに世界選に入ったけど、もうやることが山積み。
だけど、会場のメンドリジオまでは1時間なので、毎日通えるのが何よりうれしい。

レンタカーを借りて1ヶ月。これまで走った距離は9000キロなので、1日300キロ走っていることになる。
大事な日なのに
今、まだマドリードの近くのホテルで、これからタイムトライアルが行われるトレドにクルマで移動するところです。
朝、部屋で写真の整理をしていたら、携帯電話にメールが入って来ました。
だれかと思ったら、話題のイヴァン・バッソさんでした。
「今日のガゼッタに載っているような写真、4、5枚個人で使いたいので送ってくれないか」とおっしゃっています。
すぐに送ったら、その1分後に「Grazie, Ciao」の返事が。
表彰台がかかったこんな大事な日に、ケータイやパソコンなんかしていていいのでしょうか?

これから僕も出発します。
ただほど高いものはない
先日、バッソやシュレク兄弟を抱える代理人で、元プロ選手のロンバルディが会場に来ていた。アンディ・シュレクがまだ「誰?それ」という時代にその才能を見いだしていて、「ジロでは必ず10位以内に来る」と断言していたが、なんと2位だった。あのときはさすがに脱帽した。
今回はもちろん選手のセールスで、チームマネージャーらと話し合っているのを何度も見た。
だけど、マーケットとしては今年の動きは少ない。大物はアームストロング、それからコンタドールの去就などだろう。その分、来年は大きく動くはずだ。

彼の写真を撮るのに、ヨドバシで買ったストロボの便利グッズを使ったら、大変気に入ったみたいで、
「アルゼンチンにプロカメラマンの親友がいてプレゼントしたい」と言う。
「しばらく日本に戻らないから無理」だと断ると、
「ジャパンカップに行くだろ。バッソに渡してくれ」とだだをこね始めた。
コーヒー一杯おごってくれたけど、代償は大きかった。
インドゥライン通りで、本人と出会い...
インドゥライン通りで、本人と出会い...
昨日のゴールが今日のスタートだったんだけど、ミゲール・インドゥライン通り。
そしてそこに本人が現れた。
あらためて再確認したんだけど、やっぱり我が青春のアイドル・ミゲールはスーパースターだなと。
バッレリーニもいっしょにいたんだけど、もうテンションが高くなっているのがはっきりと分かる。
選手も次々と挨拶に来るけど、みんなやっぱテンション高いもん。
ちゃんと俺にも「どう、元気でやってるかい、オラー!」と挨拶忘れないし。
ミゲールがつれて来た子供もミゲールっていうんだけど、これまでサッカーばっかりやっていたのだけど、今は自転車にぞっこんらしい。将来どうなるかなあ。

ダミアーノを呼んで来て、ミゲールといっしょに写真撮らせてもらうときに、
「サングラスとってくれよ」というと、
「当たり前だろ」と、ダミアーノもうれしさを隠せない。
ダミアーノに
「いっしょに走ったことがあったけ?」と聞くと、フランコが横から
「あるわけ、ねーだろ。ダミアーノはまだガキだったよ」
いくら長くこの仕事をやっているとはいえ、こうしたことがだんだん混乱してくるんだよね。

で、ミゲールに「今、自転車で走ったら子供とどっちが強いの?」と聞いたら
「今は俺だけど、来年は息子だな」って。
うーん、息子アクセルがまだガキのときに、エディ・メルクスが自転車で競走してゴールだけは譲らなかったという話を思い出したよ。

まあ、めったにないんだよね、選手と会ってテンションが高くなることって。
逆に言うと、自分のテンションが高くなる相手=スーパースターだね。
今年のジロでランスから詫びられて舞い上がったけど、やっぱり俺の中でのスーパースターはミゲール。
俺たちの年代のアイドルといえば、ブーニョとこのミゲール。
ああ、なんも言えねえ。
初めての山岳ステージだけど
初めての山岳ステージだけど
この時期の注目事項は世界選までの動きと選手の移籍情報だ。
去年までのブエルタのレースディレクターだったコルデロは「ブエルタはやっぱり以前の4-5月開催に戻すべし。世界選の調整レースに使われており、我々は被害者」と訴えていた。
かつて世界選が8月に行われていたときは、たとえばうちの近所でのトレヴァッリ、アゴストーニ、ベルノッキなどが世界選の調整レースで、イタリア・ナショナルチームに選抜された選手は連盟の命令で参加が強制されたほどだ。
あの時期がとても懐かしい。

移籍で驚かされたのはバッランのBMC行き。
「サーヴェロがプロツールでないのにいろんなレースに出ているけど、BMCにはそんな力はないと思う....」と、ある監督と話をしていたら、
「だけどフォナック(BMCの前身)のときは航空券の手配なんかをする秘書の女性だけで5人いたんだぜ!」と驚きの事実を聞かされた。
「お前のチームは?」と聞くと
「旅行代理店に依頼するのは俺たち監督だよ」と、しょぼい返事が。
プロツールチームでこれだから....。

世界選が終わったあと、またメキシコ・チワワのレースとそのあとのカンクンでのバカンスに招待されそうになっている。
コンタドールやバルベルデらもカンクンに来るけど、僕はやることが山積みなので、今のところ断る予定。
ただし、メキシコの肉のうまさはかなり魅力ではある。

写真は、目が合ってにっこりのバッラン。財布の方もにんまりか。
スペインにやっと到着
もう1400kmの移動でくたくた。特に今回借りたレンタカーは希望車種がなかったために、ルノーの商用車みたいなやつだから、疲れがよりいっそうひどい。
シートの腰のところの出具合も調整できない。

だけど、スペインは快晴で、たぶん気温は35度くらいかな。
プレスルームは蒸し暑くて汗がだらだら出てくるけど、あの雨のオランダ&ベルギーよりも100倍いい。

海は真っ青で、まだ海水浴客がいっぱいいる。
今日から本当のブエルタだ。
今日のレース終了後、移動です
今日も雨。結局、オランダ&ベルギーでの4ステージは、3ステージが雨。
今年だけだったらいいけど、来年はジロもツールもオランダがスタート。
もう、ドうんざり。
カンチェッラーラもスタートで「やめてほしいよ」と言っていたけど、いったいこの意見に誰が反対しようか。
しかも、今日のレースが終わったら、明後日のスタートであるタラゴナまで1400kmもの移動である。

今日、唯一うれしかったのは、リエージュのプレスルームでレフというビールが振る舞われたこと。
もう、やけ酒だよ。
これからゴール写真を撮りにいくんだけどね。