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ミラノに到着
トラック世界選が終わった。
最終日の夜は、銀輪の風のスタッフや中野浩一さん夫妻、滝沢正光さんらが集まる中、日本食レストランで打ち上げパーティーに参加させてもらった。
滝沢さんは日本一の先行力を売り物に競輪トップの座を維持されていたけど、引退した今は、ギャグで日本一の先行を誇っている。

ところで最近、心に決めたことは、せっかくいろんな国に行っているのだから(自転車レースでこれが35〜40カ国目の取材)、レースの前後に土地のものを見るということ。
じゃないと、自分の頭の中が本当に自転車だけになってしまうような気がして...。
フライトは夕方だったし、一人でワルシャワの旧市内に電車で行って来た。
ドイツ軍に徹底的に破壊されたけど、そのあと昔の姿を忠実に復元したという世界遺産登録の町並みに、人間の力強さを見た思いで、ちょっと感激したなあ。

ホテルから空港までガゼッタの記者がレンタカーに乗せて行ってくれた。
ガゼッタの社員が出張するときには、必ずビジネスクラスがあてがわれる。
僕はスターアライアンスのゴールドメンバーなので、いっしょにビジネスクラスのカウンターでチェックインをしたけど、手荷物であるカメラバッグの重さを量られてしまい、規定の3倍以上ある20kgだった。
20kgじゃ持ち込めない、いやカメラだから預けられない、の押し問答の末、なんとか機内持ち込みに。
ゴールドメンバーでなければ、きっと預けさせられ、そしてべらぼうに高い超過料金をとられたはず。
去年、苦労のマイル修行をして良かったなあと心底思った。

トラブルを乗り越え、僕らは空港のラウンジでくつろいでいた。
そこに突然、UCIの会長が来て、気づかなかった僕のところに挨拶しに来てくれた。
ガゼッタの記者はまだ経験が浅くて顔が売れていないから、彼を飛び越して...。
今回の世界選では、やっぱりマレーシア選手たちの強さがグッドニュースということで、会長と意見が一致した。
なにしろ男子1km3位、男子スプリント2位なのだ。
ポルシェやフェラーリが当たり前の日本の競輪選手3,000人あまりが束になっても、自転車を買うのもやっとの国マレーシアの3人の選手に歯が立たないのだ。

会長が行ってから記者は
「彼はラッキーだよ。アイルランドから一人で出て来て、今や自転車界のナンバーワンだからな」と言う。
僕はそうは思わない。前会長が作ったプロツールに振り回され、しかも後を絶たないドーピングで、大変な苦労があると思う。
たとえ、僕にUCI会長のポストが回って来たとしても、固く辞退するつもりだ。
(最後の一行だけは、神をも恐れぬ空想話です)
ストロボ破損
取材はとりあえず順調。とりわけホテルがトラックから歩いて10秒のところにあるのはもう最高だ。
レースが終わるのが夜10時。急ぎの写真を送って11時までホテルのレストランに飛び込めば、とりあえず夕食にありつける。

昨日はカメラ2台を両肩からぶら下げて階段を上っていたときに、外人よりもさらに20センチほど長い脚がひっかかって転んだ。
からだよりもカメラの方が大事だから(笑)、両方守りながらつんのめったけど、ストロボが根元から折れてしまった。
元々、普段の酷使がたたってぐらぐらしていたのだけど、とうとうストロボ自ら入院させてくれと言ったのだと思う。
あとは残りのストロボ1台で仕事することになるが、これはなんとかなるだろう。イタリアの家には予備もあるし。
カメラも1台落としてしまい、最初はスイッチを入れたときにうんともすんとも言わなかったものだから、頭の中が真っ白に。
でもバッテリーを入れ直してみたら、動き出した。ちゃんと撮れるし、傷もつかなかった。

夜はガゼッタの記者と食事をした。
写真が趣味というこの記者と、11時から1時間半ばかり、写真やら自転車やら、いろんな話をした。
2人に共通の認識は、追い抜きで優勝したアメリカのタイラー・フィニー、将来はアームストロング並みの選手になる可能性があるのではないかということだ。
凄い選手が出て来たものだ。
トラック世界選開始
昨日は風こそ強かったものの、いい天気だった。
だけど夜から雪が降り出し、朝起きたら10センチくらい積もっていた。
トラック世界選での積雪は初めての経験だな。
ホテルはトラックから歩いて10秒!のところ。取材陣でここがとれたのは僕くらいなもの。大会開始直前に空きが出たのだ。
ところが、解けた雪がホテルの周りにたまり、トラックに行くのにどうしても水たまりを渡らなければならない。
おかげで靴の中まで水が入るのだ。
周りの暗いアパートといい、こうしたところは、東欧に来たなあという感じが伝わってくる。
ワルシャワ到着
朝4時に起きて準備し、マルペンサ空港に到着。
トラック世界選に向かうのに、ガゼッタの記者とイタリア車連の広報担当の女性も来ていた。

アームストロングが転んでけがをしたレースにガゼッタから別の記者が行っていることもあり、今日の新聞は1ページにまでアームストロングの写真が出ていた。
昨日の夕方、各メディアはまだ「アームストロングが鎖骨骨折の疑い」と書いていたのに、ガゼッタは「鎖骨骨折」と断定していた。
さすがに記者が行っていると違う。
ちなみに僕は、記者がレース会場にちゃんと来ているところのウエブサイト以外はまったく見ない。

空港に来ていた記者に聞いたら、このアクシデントで昨日は編集部で深夜12時まで仕事したそうだ。
転んだのはすでにゴールまで近いところで(20キロくらい?)、ヘリからの映像で見る限りフォトグラファーは誰もいなかったようだ。
今日の各紙はロイターが撮ったアームストロングが救急車から出るところ?だった。
もし転んだところを撮れば、スクープだったはずだ。

しかし、ガゼッタはレントゲン写真まで載せて折れているところを見せた。
「どこであの写真を用意したのか」と記者に聞いたら、イタリア人特有の「裏から手を回して...」という仕草をしたから爆笑だった。
広報担当の女の子は飛行に入っても笑っていたくらいだ。

ワルシャワ空港から記者が借りたレンタカーに便乗させてもらってトラックに到着。
といっても、難解なポーランド語の標識に迷いながらだ。
明日から怒濤の5日間が始まる。
ミラノから
風邪をひしてしまい、珍しく薬を飲んでいます。
明日からポーランドのトラックの世界選に行かなくてはならないので、早く治さねば。

さて今日から始まったブエルタ・カスティーリャ・レオン、ランスとコンタドールがどんなふうに走るか世界中から注目が集まっていたのに、いきなりランス君、鎖骨骨折だよ。
残念でたまらないけど、鎖骨骨折は選手の宿命。
エヴァンスなんて、2003年に3回鎖骨をやっているくらい。
たとえジロまで骨がくっついたとしても、ちゃんと走るのはまず無理だよなあ。
さすがに今度は奇跡は無理だろうなあ。
ミラノ〜サンレモ終了
春の一大イベント「ミラノ〜サンレモ」、例年のごとく、いろんなことがあった。
まず大会受付で、オーガナイザーの指示に従ってクルマを停めておいたら、多くの関係者が駐車禁止の切符を切られた。僕もそのうちの一人。これが僕にとって20回目のミラノ〜サンレモなのだけど、なんとミラノ〜サンレモ4回目の駐禁切符ゲット!となった。

大会受付前後に打ち合わせが2件あって、そのうちの一件は某写真エージェント。実は来ないかと誘われていて、それは名誉なことだけど、断るつもり。だけど条件だけは聞いてきた。
もう一件は、ガゼッタがジロで本やらDVDを出すやらの話で、ありがたく仕事をいただく予定。

ミラノ〜サンレモ当日は好天だったけど、気温は低く、厚着して行って大正解。
レースはジェイスポーツ生中継で見られた通りです。
レースが終わってから、プレスルームで仕事したけど、回線がもう「能の世界」。
そのうちプッツリ切れてしまった。
このプッツリが起きると、再度回線が戻るにせよ、僕の写真サーバーはときに反応しなくなってしまう。
こうして、一枚の写真も送ることができず、怒りと疲れでくたくたになってサンレモの駅まで歩いていった。
ところがその電車は40分遅れで到着。
ミラノの家に着いたのは夜12時過ぎで、サラミをつまみにビールを飲んで、それから寝たのは1時半。
今朝起きたら、風邪をひいていた。鼻水が止まりらない。今年初めての風邪だ。

明後日からポーランドに行ってトラックの世界選の取材に入る。
ミラノに戻ったら、すぐにスイスで仕事をこなし、そのあと長〜い北のクラシックの取材に。
休める日は4月いっぱい一日もない。
ガゼッタで打ち合わせ
ジロのボス・ゾメニャーンの所に行って打ち合わせをして来た。
ミラノは今日もいい天気で
「これが明後日の土曜日(ミラノ〜サンレモ)まで続くといいよね」と挨拶代わりに言ったら
「おめー、どうせバイクでくっついていくんだから、選手じゃあるめーし、関係ねーだろ」と、お上品な返事が。
もう20年来の付き合いだから、いつもの言葉をお使いのようで...。

30分ほど打ち合わせをして部屋を出たら、身長が180cm近くの美女たちがずらりと廊下に並んでいた。
秦の始皇帝もかくもあらんか、ではなくて、ジロのポディウムガールのオーディションをするのだという。
ミラノは世界からモデルが集まるから、レベルはやっぱり高い!
どっかそのへんを歩いても、日本に行ったら確実にモデルができるという人が少なくない。
そういえば、バッソの妹からも「日本でモデルをしたい」と相談を受けたことがあったなあ。

昔はフィルムの現像をするのに、しょっちゅうミラノのロレート広場のプロラボにいっていたけど、世界中から集まってくるモデルたちも、撮ってもらった写真をもって、プリントしてもらうために来ていた。
プロラボの親父はイタリア語しかできないので、この不肖・砂田が小学生並みの英語で通訳させられたものだ。
最難関ステージ
昨日はティレーノ〜アドリアティコの最難関ステージだった。
最高標高が1,455mのサッソテットだったが、山頂にはまだ1mくらい雪が残っていて、その寒いこと。
それよりも、いつもお願いしているこの辺のバイクの運転手がバイクの故障で来ることができず(アマチュアのレースで転び、バイクを壊した)、初めての人だった。
運転は上手なのだけど、スズキのオフロード車で、後ろシートのスペースが極端に狭く、からだをうまくよじることができない。
レースが終わってから、ホテルに戻ると、もう腰が痛くて痛くて。
選手にとて厳しい日だったけど(カメラマン同士で、こりゃジロの山岳ステージ並にきついと話した)、僕にとっても厳しい日だった。
でも雨が降らなかったからそこは良かった。

ディルーカがアタックしたとき、運転手にスピードを緩めてもらおうとしたら、ストップしてしまって転倒。
止まってからの転倒だからなんでもなかった。
朝、スタートに行ったら、スペインのロドリゲスから「昨日、転んでいるのを見た。またやったなあと思って見てたよ」と言われた。
「また」というのは、2005年のジロの移動中、彼の乗っていたチームカーの前で派手な転倒をやって、救急車で運ばれたのを見られているから。

まあ、止まった状態での転倒はこれまで何度も経験がある。怖いのは高速での転倒。昨年女子のレースで、オーストラリアの女カメラマンが時速120kmでオートバイ同士接触し、60m宙を舞って重傷となった。でも今年からまた乗って撮るというから見上げた根性だ。

この大会でイタリアのカメラマンが大理石加工工場近くの道路で、切り粉で転び、選手が避けて通るというトラブルがあった。ヘリからの映像でイタリア全土に流されたらしい。
CICLISSIMO No.12
CICLISSIMO No.12
砂田弓弦監修の自転車ロードレースマガジン『CICLISSIMO』(チクリッシモ)の2009年最初の第12号が発売になります。
この号の目玉は、プロの20チームを掲載した別冊付録「保存版2009チームガイド&選手名鑑」。プロツール全18チームは全選手の顔写真と主要選手のプロフィールを掲載。ワイルドカード指定のプロコンチネンタル11チームも掲載。まさに保存版の内容で、TVでのレース観戦に役立つこと請け合いです。
本誌の第1特集は、前例のない名選手の復活劇をいろいろな角度からレポートした「復活! ランスアームストロング」。前例のない名選手の復活劇を詳報。
そのほか「海外チームで活躍する日本人選手」「2009本誌注目選手」「インタビュー=フィリッポ・ポッツァート」と、タイムリーで充実した記事が満載です。
●サイクルスポーツ臨時増刊、3月18日(水)発売、税込み定価1,680円、A4ワイド判76ページ+別冊付録48ページ
ミラノに到着
火曜日に都内で何件か打ち合わせをしたあと、ジェイスポーツで放映中のパリ〜ニースに出演。いつものことですが、口べたですから、うまくしゃべれません。
夜中の1時に終了なので、そのあとタクシーでホテルに向かい、そして2時就寝。
朝7時半に起きてすぐに成田空港に向かい、ミラノ行きの飛行機に搭乗。
夜に自宅に着きました。
4ヶ月間も空けていたので、今日は掃除と明日からのティレーノ〜アドリアティコの準備に追われました。
でも、空は快晴。気持ちいいくらいです。

近所のおばさん2人に会いましたが、2人ともミラノ〜サンレモのことについて話しかけて来ました。ミラノ〜サンレモは国民的イベントです。イタリアにいれば、おばあさんが自転車競技のことを話しても、なんら不思議じゃないのです。
すごいでしょ?

昼は家の下にあるトラットリーアに行って来ました。家にいるときの昼はだいたいここで食べます。
今日はトマトソースにリコッタチーズが入っているペンネ、そのオーブンで焼いた骨付きの豚肉、つけ合わせがカリフラワーのオーブン焼き。
赤葡萄酒は一合半(1/4リットル)。しめて10ユーロ。

これから明日からのレースの準備をさらにやります。
結局30mm購入
結局、TX-2用の30mmレンズを買ってしまった。程度がとても良い中古を昨日インターネットで見つけた。F.5.6にもかかわらず、22万円!。先日購入したボディと45mmレンズを合わせると合計45万円(涙)。
今どき、フィルムのカメラにこの投資はかなり度胸がいる。
正直言うと、かなり迷ったけど、誘惑に負けてしまった。
カメラ道楽の泥沼。深〜い、深〜い、人を引きずり込んでしまう沼です。良い子は決して近づかないように。
以下、購入に至るまでの葛藤状態です。
「商売道具に金をかけないのか。それでもプロか」
「良心あるカメラマンはフィルムを忘れないだろ」
「高い買い物でも、また仕事で稼げば良いじゃないか」
と、自分を追い込んだけど、今思うと、単に理由が欲しかっただけだったのかも。
まあ実を言うと、プロカメラマンの相原正明さんのブログを毎日楽しみに見ているのだけど、これに影響されてしまったかもしれない。
いかん、いかん。
今日はイタリアでした
うちの朝ご飯はいつもパンで、今日は自家製パネットーネ。
メールを見ると、ガゼッタが100周年記念のジロの本を作るみたいで、写真を送れとの連絡。
そのあとスキーに行き、仲間とピッツァや葡萄酒の話で盛り上がる。
帰宅後、ジロのことでオーガナイザーのボスであるゾメニャーンと電話で打ち合わせ。
その後、ブランカ・メンタというハッカのお酒を飲みながらメール。
富山でイタリアしてました。
パリ〜ルーベのDVD
パリ〜ルーベのDVD
パリ〜ルーベのDVDがジェイスポーツから発売されることになりました。
パッケージに写真を使っていただいてもらっているのですが、早く中を見るのが楽しみです(タイヤの履き替えや、ひな人形の片付けなんかあって、まだ見ていません)。
グランツールはずいぶん浸透したと思いますが、これからはこうしたクラシックレースの出番。
実際、僕はこれまでこのレースを19回取材しましたが、パヴェに入ると無線機からパンクと落車のアナウンスがずーっと流れて来ます。凄いですよ。
DVDは記録という意味でも貴重なもので、僕がたとえこの仕事をしてなくても、一人のファンとして必ず買うと思います。

それから日曜日からパリ〜ニースが始まりますが、3月10日火曜日のジェイスポーツの放送にゲストとして呼ばれました。
その翌日にイタリアに渡り、僕のヨーロッパでのシーズンインとなります。
アンプ来たれり
フジTX-2を買ってしまった話を書いたけど、中古だと思っていたら、箱に入ったまままったく使用されていないものだった。
同時にレンズは45mmを購入。これもまったく使用されていないもの。
恐ろしいことに、このカメラを買うと、必ず30mmのレンズに目が行ってしまう。まさに魔のカメラだ。30mmのレンズはF5.6というスペックにもかかわらず、なんと税込み定価が262,500円という!!
なんでこんなに高いのかと思うけど、やっていることといえば、ずっとインターネットで探すこと。
ところが、まったく出物はない。
まあ、これでいいのかも。

ところがまた散財である。
オーディオなんだけど、今使っているのは20年ほど前に買ったアンプ、ヤマハA-2000、スピーカーはヤマハNS-1000X。
当時は名品だと言われ、使っている人は今もいるだろう。
僕もそんな一人だ。
ところが、アンプからひどい雑音が入るようになり、買い替えることに。
買ったのはまたヤマハで、数ヶ月前に出たS-1000という機種。
今日届いて、さっそく鳴らしてみたけど、満足です。
本当は、オーディオラックとスピーカーの台が欲しいのだけど、しばらくは散財禁止だ。