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リッチモンドの空港から
リッチモンドの空港にいます。
夕方5時のフライトだけど、ラウンジで仕事をしようと思って13時に来たけど、ラウンジがない!
国際空港にラウンジがないことがあるんですね。
結局、ハンバーガー屋で写真の整理をすることに。
椅子が硬く、お尻が痛くなりました。
長居しないようにうまくできています。

今日のイタリアのガゼッタ紙は、イタリアの選手たちに点数をつけているけど、もうかなり低く、目を覆いたくなるような評価です。
なにしろ、イタリアの最高位がニッツォーロの18位。新城の一つ下です。

昨日、プレスルームで一般紙コリエーレ・デッラ・セーラの記者が
「おめでとう。日本選手がイタリア最高位よりも上だったよ」と言いました。
その記者とまた空港でいっしょになりましたが、
「イタリアは優勝しなかったら取り上げるものがない。来ない方がいいくらい」と嘆いています。
これが自転車大国というものです。
アメリカからイタリアへ
世界選が終了し、長かったアメリカ滞在も今日で終わり。
まだホテルで仕事をしているけど、これからリッチモンドの空港に向かい、ニューヨーク経由でミラノに戻ります。
来週早々、日本に帰国しますが、早くシーズンを終えてゆっくりしたいです。
もうどこにも出歩かず、家に引きこもりたいです。

世界選男子ロードはすごく面白かったです。
さらにコースのレイアウト、警察官のオープンさ、しっかりとしたオーガナイズ...。表彰台が屋内だったことだけが悔やまれますが。

今週末はジロ・ディ・ロンバルディーアです。
日曜日が楽しみ
日曜日が楽しみ
ゴールの300m手前です。
日曜日にここで手を挙げるのは誰か、とても楽しみです。

これまで何度もここで紹介してますが、これまででもっとも劇的な世界選手権はこれです。1972年です。
https://www.youtube.com/watch?v=bwLM0EeRBOQ
表彰式
今回の世界選、表彰式が屋内で行われている。
僕が知る限り、初めてのことだ。
そこには、大観客の感動がなく、これがアメリカかと思うと、自分自身しらけている。
これまでの世界選の感動を知らない人たちがオーガナイズすると、こうしたことになってしまうのだろう。

僕の仕事ももそうなんだけど、目指すモデルがないとやっぱりダメ。
いったい何をしたいのか、何を目指しているのかわからない人が少なくない。
見ていて、別の仕事をやった方がいいんじゃないのと思うことがよくある。
リッチモンド到着
ニューヨークで2日間遊んだあと、昨日リッチモンドに到着。
ニューヨーク経由でリッチモンドに入る人は少ないのか、イギリスのジャーナリストといっしょになっただけだった。
そのあと、ハーツで予約してあったレンタカーを借りた。
カーナビはオプションでつけることができたけど、インターネットにつながっていなくても作動するというアプリケーションをiphoneに入れておいたので断った。
ところが、実際にクルマを走らせても、アプリがうまく作動しない。
ホテルの住所を何度か入れ直したのだけど、そのとき州名まで入れずに入れたらうまくできた。
これもあって、無事にホテルに到着。
アメリカで運転するのは久しぶりだったので緊張した。やっぱりヨーロッパとはちょっとちがう。
しかし、ホテルが古くて汚いのに嫌になった。
救いはインターネットが速いこと。
今日は大会の受付と、フォトグラファーズ・ミーティングが行われる。
外は濃霧がかかっているが、半袖でも大丈夫なくらいに暖かい。
ニューヨーク到着
ミラノからニューヨークに到着しました。
ミラノの家に居候している長女は学校が休みなので、ローマに遊びに行きました。
親子で観光してるわけです。
ニューヨークは3回目かな。
最初は20年ほど前で、キャノンデールの取材を終えてのトランジットだったけど、台風が来ていて外には一歩も出られませんでした。キャノンデールに到着した時は、社長が「僕のプライベートジェットで迎えにいけなくて残念」と言われたのを覚えています。会社が傾いたのはそのあとでした。
2回目は4年前かな。夫婦での旅行でした。そのときはセントラルパークの南端のホテルで、良いところでした。
今回はブルックリンに2日間滞在します。外は東京の御徒町みたいな感じで、ごちゃごちゃです。

僕はすでにヨーロッパのどこに行っても感動がないのだけど、アメリカは心が弾みます。訪れた回数がまだ10回未満というのもあるけど、やっぱりヨーロッパと文化が違いますからね。

僕が最初にイタリアに行ったのは1985年でした。だけどその何年か前にアメリカ選手たちがイタリアに遠征してきて、アマチュアのビッグレースで活躍してました。
グレッグ・レモンやランス・アームストロングが出てきてアメリカが有名になった感があるけど、その下地はずっと前に造られていたのです。
そういうことも、きっとどこかで影響しているから、アメリカに対してちょっとワクワク感があるんでしょうね。
ブエルタ・ア・エスパーニャ最終ステージ
今日は最終ステージ。すでに空港のそばのホテルにチェックインしてます。
夕方から始まりますが、夜のレースはもう勘弁して欲しいです。
だけど、今年のレースは手に汗握る展開で、おもしろかったです。
明日、ミラノに戻って2泊し、そのあとニューヨークに行きます。
アールとニバリ
アールとニバリ
アールが出てきたら、間違いなくニバリと仲違いする。
もう自転車の歴史を見れば明らか。
今日、パンターニとキャプーチを担当していたマッサージ師や、その時代からやっているフォトグラファーたちと話をしたけど、やっぱりエゲツない状況だったらしい。
会社に社長が2人いたら、絶対にうまく回りません。
さいたまクリテリウムまであと52日
アンドラより
アンドラより
大好物のピミエントス・デ・パドロン(シシトウの素揚げ)にようやく巡り会えました。
ただし、スペインじゃなくてアンドラです。
アンドラはスペインとフランスの国境にある小国です。
僕が初めてこのブエルタを取材したのは1994年のアンドラのステージからでした。
当時はまだ北のクラシックとジロ・ディ・イタリアの間、つまり4月開催でした。
アンドラは日本ではほとんど知られていないと思いますが、ブエルタやツールではよく来ます。ツールではステージがアンドラに来なくても、宿泊はアンドラということもよくあります。ですから全部合わせると多分30回くらいはこのアンドラに来ていると思います。
あっ、僕のグランツールの取材回数はジロが27回、ツールが27回、ブエルタはよく覚えていないけど、15〜20回くらいかな?
ユーロになる前はスペインのペセタもフランスのフランも両方使えましたが、文化的にはスペインの延長上にある国です。
飛行場や鉄道がないので、行くにはクルマかバスが不可欠です。