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明日はオローパがゴール
明日はオローパがゴール
2001年のジロの第17ステージはサンレモがスタート&ゴールだった。
この日の夜、警察が選手の宿舎を突然訪れ、薬物捜査を始めた。
調査は深夜まで続いたため、これに抗議した選手が翌日ホテルでミーティングを開き、ここで大会を中止にするかどうかという会議を開いた。
僕は会議室の前で朝から夕方まで立ち、ときどき開くドアから写真を撮った。
ジロ史上に残る、ドーピング事件の一つである。
ちなみに、大会が中止されそうになったのは、これが最初で最後だった。

昨日、僕はブラのホテルに泊まった。
例のサンレモのステージの翌日、僕が夕べ泊まったホテルも選手を受け入れたという。
ところが、ホテルの主人が今朝コーヒーをサービスしてくれながら当時のことを語ってくれたのだが、その2日前に警察がこのホテルを訪れ、全部屋の火災報知器に盗聴器を仕込んで選手の会話を盗聴したと言う。
僕はこういう時代をフォトグラファーとしてやってきた。
こういうエピソードを聞くと、歴史の中で撮ってきたと言う思いで、こみ上げてくるものがある。
この感情は、あまり分かってもらえないと思う。

明日はオローパがゴール。
1999年にパンターニがチェーンを外して遅れたにもかかわらず、先行する選手をごぼう抜きにした伝説のレースをやったところである。
あの日の興奮度、観客の熱狂度は今でも忘れることができない。
それから数日後、マドンナ・ディ・カンピリオでパンターニのヘマトクリット値が基準を超えて失格となった。

写真は2001年のサンレモの選手のストライキ。ジロが中止されるかどうかの瀬戸際で臨時ニュースにもなった。
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