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ブエルタ第5ステージ終了
もうブエルタのヴィラージュ(スタートに設置されるスタンド)は昨年の半分ほどで、スポンサーが激減している。
昨日のスタートで、UCIのドーピング担当者と話し込んだ。これまでジロやツールでも審判長を何度も務めていて、僕もレース中に何度も怒鳴られたけど、仲もいい。今は審判の中でもかなり偉くなっている。ランディスの数値はやっぱりかなり高かったという。
「もう自転車をドーピングフリーにしてよ」と言ったら、
「ばかやろう、オレの仕事がなくなっちまうじゃねえかよ」と言われた。
それ、こっちのせりふだよ。
コルドバ
夕べはコルドバの、通称ユダヤ人街に泊まった。ホテルが集中しているところなんだけど、白い家が集中しているところで、迷子になりかねない。
道はめちゃくちゃ狭く、1台通るのがやっと。もちろんすべて一方通行だ。
ホテルに行こうと思ったら、工事中で通れない。
バールのおやじさんに聞いても、道が複雑で困っていた。
ちょうどそこに偶然そのホテルの従業員がやってきたので、車に乗ってもらって案内してもらうが、その人でもなかなかうまくたどり着けない。
汗をかきながらやっと着くが、駐車も一苦労。

朝ご飯は、近くのバールにいったけど、みんながやっているように、焼いたパンの上にオリーブオイルをたっぷり(半端じゃない量)をかけて食べる。しかも、ニンニクの入ったオイルもあって、もう朝から口の中にエネルギーが充満している。
去年は連日40度近かったけど、今年は比較的落ち着いている。それでも部屋ではエアコンなしにはいられない。
マラガ到着
マラガ到着
昨日はミラノの旅行代理店でいろんな航空券の予約をやったり、部屋の掃除をやったりしたあと、友人から夕食に招待された。
イタリア人って政治だとか、社会問題の話が大好きなんだけど、奥さん同士がそうしたことに唾を飛ばしあって議論しだした。
旦那たちが「おいおい、話題変えようよ」といっても、完全に熱くなっているから止まらない。

だから、こんどは旦那たちだけで話が始まった。
旦那の一人は、子供たちの自転車クラブの監督をやっていて、今は6歳から12歳までが担当だ。
で、彼がいつも見ているウエブサイトを見せてくれた。
ミラノ近郊の子供たちのレース結果が写真付きで出ているものとか、登り坂の難易度を評価したものなど、あっけにとられるものばかり。
そして彼は、プロツールのせいで、この近所で行われるコッパ・アゴストーニに一流選手が出ていなかったことを嘆いた。

若い頃、僕はイタリアでこういう人たちに自転車のイロハを教えてもらった。
彼もプロ選手のことはそんなに知らない。ましてイタリア以外の国の選手なんか、よほど強くないと分からない。
だけど、たとえば子供をどうやって指導していくか、あるいは連盟の規則やシステムがどうなっているかなどは、当然分かっている。
アゴストーニは昔からの伝統あるレースなんだけど、プロツールの悪い影響が彼の言葉で実感できた。

日本にも、プロ選手の知識が豊富な人はたくさんいるけど、僕の視点から言うと、自転車競技全体に対する認識は、こうしたローカルなイタリア人、ヨーロッパ人たちには遠く及ばないと思うし、これが文化の違いなんだと思う。
プロレースは三角形型の自転車の頂点。その土台の部分が欠如しているわけだ。
日本に子供のレースがあまりないことも大きな原因だけど、それでも昨年、滋賀県の野洲川で見たウイラースクールのように、ヨーロッパの日常的なシステムを広めようとしているところもある。あれにはちょっと感激した。

ああ、これを書いているうちにマラガに到着した。今夜はブエルタの第1ステージ、チームタイムトライアルだ。
ミラノ到着
出国前の2日間は東京で過ごした。仕事の打ち合わせだったんだけど、昼も夜も酒が絡んでしまい、非常に困った(ウソ)。
最終日の夜は打ち合わせがなかったので、珍しく一人で夕食をとった。
直前まで秋葉原のヨドバシカメラでバッグを物色していたこともあり(理想のバッグを探すのに、これまでカメラ屋で何時間使ったことか!でも今回も買わなかった)、市ケ谷の「みやらび」へ行った。
ここの沖縄料理はとてもおいしいし、雰囲気も良いので、ついつい泡盛を飲み過ぎてしまうのが難点。
だけど今回は自制したので二日酔いもなく、イタリアまでの飛行機の中でもスプマンテとヴィーノを飲みながら、普通に食べた。
ただし今回の切符はJALとはいえ、アリタリアとの共同運行便(うわぁ〜)。
ビジネスクラスだったけど、コップはないわ、トイレが壊れているわ、ご飯もおいしくないわで…(全部想定内だったけど)。
仕事しようとパソコンを出して、イタリア人のチーフパーサーに聞いたら、「コンセントは左についていますよ」というが、怪しいので日本人のパーサーに聞いたら「それはコンセントではありません!」
(あいつ、何年飛行機に乗ってんだよ!)
で、そのチーフ、悪びれた様子もなく「こちらで充電できますから」と、あの料理の準備をするところを指さす。
(そんなところにずっといられるかよ。今や、特急電車にだってコンセントが付いてるぜ)
うーん、久しぶりにアリタリアに乗ったが、昔と全然変わっちょらんよ。
機内サービスの向上目的に配られたアンケートが、嗚呼むなしい。
海の家に入ったときと同様の、トホホな感動を受けましたよ。

機内でコリエーレ・デッラ・セーラ(新聞)をもらうと、いきなり
「リナーテとマルペンサ空港で、1日あたり800個のロストバゲージ」という大きな見出しが目に飛び込んでくる。
マジかよ。
感動の地イタリアに着いた。1ヶ月ぶりだけど。
チクリッシモ第2号
チクリッシモ第2号
8月26日、八重洲出版からチクリッシモ第2号が発売されます。
今回はツール・ド・フランス特集です。
A4ワイド判152ページ 税込み定価1575円
ISBN4-86144-053-X
ぜひ読んでみてください。
就職難
就職難
昔は6月下旬の国内選手権の頃に契約の話がチームと選手の間に出始め、そしてツールの頃にサインするということが多かった。
今プロツールが始まって、この流れが遅くなってきているけど、とにかくすでに契約を交わした選手はたくさんいるはず。
今、アスタナとフォナックがプロツールから追い出される公算が強くなってきていて、その決議が下されると、それだけで60人近い選手が失業する可能性がある。
それぞれ下のカテゴリーでチームを作ったとしても、選手だったらプロツールで走りたいはずだから、現実難しいはず。
さらに来シーズン、チームを閉じるところもあるだろう。
すると、どこもいっそう就職倍率が高くなるはずだ。

イタリアが世界でいちばんプロ選手が多いのだけど、先日シモーニは新聞の中で「毎日プロ選手が生まれてくる今日の状況は…」といって、力のない選手がたくさんプロになっている現状を、彼らしくストレートに非難していた。
シモーニに限らず、自転車のことをよく知っている人は同じことを言う。
「おまえ、自転車を持っているか?じゃあ、あのレースを走れば優勝だったな」とランプレの人から言われたこともある。
プロのレベルについて言うと、上は上がっているけど、下は下がっているのではないか。
実際、プロを数年やっていたというのを、恥ずかしそうに言う元選手が少なくないことを僕はよく知っている。
僕がこの仕事を始めた頃、プロはプロならではの雰囲気があった。
それが今では…って感じを受けることも多々ある。

来週からヨーロッパに行き、まずはブエルタだけど、また現地で代理人たちが走り回っていると思う。
自転車界は就職難になるはずだけど、本来の姿に近づくだけのことかもしれない。
ぼったくりレンタカー
ぼったくりレンタカー
子供とまた海に行ってきた。だけど今度は海の家に入らなかったこともあり、楽しさだけが残った。行ったのは、富山と新潟の県境にある宮崎海岸。水がきれいだった。
今は日中に仕事、夕方から1時間自転車に乗ってくるのが日課。
今年、カーボンフレームを新調したのだけど、カーボンの乗り心地はやっぱりいい。そうそう、ヴィランクが自転車に乗っていて、フロントフォークが折損して、顔面骨折したという話。
フロントフォークというのは、カーボンフレームをやっているところでも作るのを敬遠するほどデリケートな部分だ。
ミラノのマージに教えてもらったのだけど、第二次大戦前後、ここが折れてもケガがないよう、フォークの下の穴から丸く削った木をたたき込んでいた。たたき込むというのは、簡単には入らなかったから。
ごく稀だけど、プロレースでもトラブルが起きる。今年のパリ〜ルーベでもあった。
そうしたとき、すぐにイタリアの某メーカーが電話してきて、「どこが折れていた?」と聞いてくるのだ。
ヨーロッパではたぶん「ああ、不幸だったね」くらいで済むと思うけど、アメリカの一般ユーザーで起きようものなら、賠償金で会社が倒産するかもしれない。

ところで昨日、イタリアから写真の支払い明細書が届いた。
ちょうどジロのころの支払いだ。
ところが1点、現役時代のチポッリーニのものが入っている。
思い出したけど、2002年の世界選のときの写真(本人が優勝)が4月のガゼッタに掲載されたのだ。ガゼッタの自社広告だった。
昔、日経新聞にシマノの広告で紙面いっぱい写真が掲載されたときのギャラの3倍はあった。新聞としては自分の最高額で、思わぬ臨時ボーナスだった。

ところが、イタリアのレンタカーなんだけど、返却時に傷がついていたという理由で、1万5000円ほどクレジットカードから引き落とされているではないか。
傷を付けたなんて、まったくあり得ない話。
シチリアに本拠のある激安会社だけど、ああやっぱりイタリアはいやだよ。
海の家に感動!
世間はお盆休み。
僕もお墓参りに行ってきたけど、雑誌の仕事が絶え間なくあり、お盆休みは事実上なし。
まあ、1月1日から仕事しているから、こんなのは慣れっこだけど。
先日、子供を連れて海水浴に行ってきたけど、海の家というのが数十年前となんら変わっていないのに驚き、失望し、感動すらした。
掘っ立て小屋に入るだけで大人1000円、子供800円。ラーメンを頼んだけど、インスタントの方がまだうまい。
アルバイトの兄ちゃんは、ちゃんとした日本語ができない日本人だ。
で、砂浜はゴミと流木がそのまま。日本にはだしで歩ける海岸があるのかなあ?
ちなみに、行ったのは、環境省が選定した全国水浴場88選に入った島尾海岸。
日本で衣食住に困ることはないけれど、およそレジャーの貧弱さでは先進国でも最低なんじゃないかしらん(スキー場なんか、その典型)。
勘違いしている市長さんは箱物を作る。で、夕張市みたいになっちゃうわけだ。
まあ、自分のような仕事漬けのような人間がレジャーを語るわけにはいかんが、とにかく生活に最低限必要なこと以外は、大幅に遅れているというか、次元が違う。
ヨーロッパに行ったら、ブランド屋の前で行列するのではなく、プチ・バカンスしてみてください。ツボにはまると、人生観が変わるかもしれません。
だけど、子供と遊ぶのは楽しかった。これが「海水浴は楽しかった」となって、また来年も行ってしまうのだ。クソ。
カメラとレンズ、買いました
1週間ほど前にフィルムで撮るカメラを購入し、久しぶりにポジフィルムで撮ってみた。
ちょっと特殊なカメラで、内蔵の露出計もついていないから、勘だけが頼り。
すっかりデジカメに慣れ切っていたから、眠っていた本能が蘇るような感じで、いい刺激となったし、とにかく楽しい。
そういえば、あるフォトグラファーもデジカメ中心だけど、ときどきあえてフィルムで撮って勘を鈍らせないと雑誌の中で言っていた。その意味がよく分かった。
すぐに現像に持っていこうと思ったら、ああ、日本はこれからお盆休みだった。正月は覚えられるけど、お盆はいつも来てから気付く。この時期、仕事が忙しいからね。

それからレンズも一本買った。
これはデジカメにつけるもので、いつもはキャノンの純正品を使っているのだけど、今回は初めてレンズ専業メーカーのシグマを選んだ。
最近、ヨーロッパの同業者でも、広角系でシグマを使う人が増えている。
別にコマーシャルするわけではないが、キャノンにないラインアップを揃えていて、魅力あるメーカーになっている。
とにかく、新しいレンズを買うと、これでどんなものが撮れるのかと思うだけで、ドキドキしてくる。

ブエルタにはフィルムを持っていくぞ!(しかし、飛行機の検査が厳しくなって、ちゃんと持ち込めるか心配。機材の持ち込みは、いつも大変なんです)
買い物
フォトグラファーの方々がよく見ているサイトで電塾 http://www.denjuku.gr.jp/というのがある。
中でも鹿野宏さんのダイヤリーが好きで、よく見ている。
僕は面識がないのだけれど、デジタル写真の世界では有名な人だ。
その方が持っているPowerBookが壊れたという。僕も同じものを使っている(正しく言うなら酷使している)から、ちょっと背筋が寒くなった。
鹿野さんのようなマック使いの名人でも、やっぱりパソコンは壊れるものだと、あらためて思った。
実はこの私、パソコンが完全に壊れたというのは、いまだかつて経験していない。
だけど、万が一のことを考えてバックアップ体制を整え、そしてレースの現場にはいつも2つ持ち込んでいる。
その世話になったことはまだないのだけれど、やっぱり安心できる。
みんなよく1つしか持ってこないなあと、妙に感心したりして…。
小心者の私にはちょっと無理。

デスクトップのマックもついにニューモデルが発表され、さらに今日はアップルから次の新しいOSの発表があった。
今年はあまり新しいものを買っていなかったのだが、一昨日久しぶりにカメラを注文した。なんとフィルムを使うカメラである。
これがきっかけとなって、バタバタと買い物をしてしまいそうな自分である(いま思い出したけど、昨日、眼鏡を作った。これもその前兆か)。
昨日は
昨日のガゼッタの衝撃的記事で、関係者から批判がいっぱい集まったと、今日も1ページ割いてドーピング特集だ。
関係者の言い分は、全部の選手がやっていると思われては困ると。
ガゼッタはこの記事を出すために、前日にあえて告白記事を載せたのだろう。
たしかに、全部の選手がやっているわけではない。
一部の人間がやったおかげで、自転車選手全員が迷惑するというわけだ。
その通りだと思う。

ところで、あの昨日のボクシング。
テレビが審判に金を渡したんじゃないの?
試合が終わっておやじ〜って絶叫するところなど、三流プロデューサーが仕掛けたように思いましたよ。
フレイレが3回目の世界チャンピオンになったときだって、「パパ〜」なんて言わなかったよ。
試合は面白かったけど、その前後の演出、それと判定で完全にしらけた。
日本の自転車も、演出が過剰過ぎて、ああならないようにと思う。
世界への道はまだまだ遠いから、一歩一歩、歩んでいくということ。
さいわい、日本のトップ選手のほとんどは、自分と世界の壁がどれだけのものかが分かっている。
だけど、勘違いしてしまうと、事情を知らない回りが振り回されることになる。
今日のガゼッタは
ランディスのおかげで、ここ数日ガゼッタはドーピングの記事ばかりだ。
数ある新聞社でも、世界のレースで無条件にオートバイに乗れるのは、フランスのレキップ(社員カメラマン)とイタリアンのガゼッタ(契約カメラマン)しかいない。これはUCI公認だ。
僕の写真もときどきガゼッタ、それから同系列の一般紙コリエーレ・デッラ・セーラに載るけど、契約カメラマンじゃないから、UCIのオートバイ無条件枠には入れない。
ガゼッタはジロのオーガナイザーなんだけど、グランツールで主催者が創設時から変わっていないのは、このジロだけ。つまり、ガゼッタはずっとジロといっしょで、自転車競技で育ったような新聞だ。
僕がイタリアの自転車雑誌よりもガゼッタに毎週つく週刊誌への掲載にこだわるのは、発行部数が多いからだ。専門誌とは大人と子供の差だ。

そのガゼッタが今日、告白記事をやった。
元アマチュアの選手がずっとやっていたというやつ。
僕がちょこっとイタリアで趣味で走った20年前、検査で自分の尿の代わりにオレンジジュースを入れたヤツがいたけど、なんのおとがめもなかった。
検査ってお金と手間がかかるから、形だけで、全部はちゃんと最後までやれないのだ。これは20年前の話で、今の実態は知らないけど、プロよりも女子を含めたアマの方がひどいなんて言われるのを聞くと、あまり変わっていないのかもしれない。
ガゼッタがこんなことを書くのは、内心きっとものすごく嫌なはずだ。人気を落とすだけだから。
だけど、この時期になにも書かないわけにいかないという状況も痛いほど理解できる。こっちが記者にインタビューしたいほどだ。
ランディスの起こした混乱は、すべてのものをひっくるめると何千億円の被害を出したと思う。
だけどおかしかったのは、ガゼッタのサイトで「自転車をドーピングフリーにしたらどうか」という提案に、6000人のうちの4割が賛成だったというのだ。
もちろん、これに対して「ガゼッタ紙はきれいなスポーツを支持する」とあったが。