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食堂でびっくり
食堂でびっくり
今日も終日強い雨。
いったい地球はどうなってしまったのだろう。

スタートで入った食堂、壁の注意書きが「床につばを吐かないでください」
便所の汚さもかなりのもの。

日本の昭和30年代の食堂はどうだったのだろう。
日本の昭和30年代がここにあります
日本の昭和30年代がここにあります
僕が途中でオートバイから降りてクルマに乗り込んだことがちょっと問題になったらしく、いろいろ事情徴収がありました。
問題になったというのは、向こうに不手際があったのではないかといろいろ気遣ってくれたわけで、またモチベーションを取り戻して、今日もオートバイから撮影をさせてもらいました。

でもまた土砂降りの雨が。
毎日続く雨はどうみても異常で、僕もこの大会を10回くらい取材していて初めてのこと。
地球温暖化の影響じゃないのかなあ。

マレーシアにいると、なんか昭和30年代から40年代の日本を思い出します。
貧しくても、人や家庭の温かさを感じます。
マレーシアからいったん日本に帰るけど、東京で泊まって翌日カタール&オマーンに出発します。
1日でもいいから家に帰りたかったけど、トホホ的スケジュールです。

写真はクルマに乗っていた家族。写真で確認できるだけで10人!
オートバイから写真を1枚も撮らず
オートバイの運転手を毎日あてがってくれるのはいいのだけど、今日はまったく自転車のことを分かっていない人だった。
愛三の綾部がリーダーとなっていたし、スタート直後に各リーダーシャツを着た選手のお揃い写真を撮ろうと思って運転手に指示を出しても、ちゃんと近寄れない。というか、近寄って写真を撮ってはいけないと思っているみたい。
素人といっしょに仕事できるはずもなく、レース途中でチクリッシモで活躍しているジャーナリストのケネをつかまえてクルマに便乗。
去年のカタールで、オートバイのシートがあまりに固く、もう我慢ができなくなってリタイアしたことはあったけど、自らの意思でレースを途中で放り出したのはこの仕事23年目にして初めて。
よく、オートバイに乗っているから写真が撮れると思っている人がいるのだけど、それは間違い。
正しく言うと、ちゃんとしたプロのドライバーが運転するオートバイに乗っていると、写真を撮れるチャンスが増えるということ。
つまり、いい写真を撮るには金がかかるということだ。

ゴールに行って写真は撮ったけど、そのゴール、猛烈な嵐。
このツール・ド・ランカウイに10回くらいは来ていると思うけど、こんなにひどい天気は初めて。そもそも、スタートからゴールまで雨というのもめったにないことだ。
世界的な異常気象だと思う。

ああ、モチベーションが急降下。早く日本に帰りたい。
ランカウイ合流
ツール・ダウンアンダーからツール・ド・ランカウイに来たのは僕を含めて4人いて、そのうちの一人がUCIのコミッセールであるオランダの丸珍、いやマルティンだった。
オランダにはマルティンが2人いるけど、その背丈の低い方で、とても紳士である。そしていい判断をする。
ジロでこれまで2回チーフを務めていて、2002年にカーザグランデがコロンビアチャンピオンを幅寄せして転ばせたときに失格にしたのもこの人である。
今回のダウンアンダーのチーフコミッセールも務めた。
UCIのコミッセールはたくさんいるけど、グランツールやクラシック、世界選などでチーフを務める人というのは限られていて、そのほとんどは顔なじみだ。
クアラルンプールからの国内線で彼といっしょになり、いろんな話をして楽しかった。
彼の本職はオランダの財務省みたいなところなのだけど、こうしたスポーツの大会でそれなりの地位にある人は法律によって仕事と見なされて自由にいくことができる。
そのあたりはすばらしい国である。

ダウンアンダーはワールドツアー(これまでのプロツール。今年から英語のワールドツアーと呼ばれることになった。マルティンによりと、UCIの会長がアイルランド人で、あきらかにその影響とのこと)なので、無線機の使用が認められているが、ランカウイはダメだ。
ところが、ガーミンなどは最近ハンドルにつけるコンピューターにテキストを送ってきているという。
これなどはすぐにでも禁止させると言っていた。
その他、コンタドールのことなど、短い時間だったけど、いろいろと話ができてよかった。
普段、現場でコミッセールと顔を合わせていても、こうしてちゃんと話をすることってなかなかないのだ。

で、今日からツール・ド・ランカウイに合流。
そうしたら、背の高い方のオランダのマルティンもいるではないか!元カジノの経営者である。
アデレードよ、さようなら
アデレードよ、さようなら
昨日の第5ステージでツール・ダウンアンダーは事実上勝負が決定。
夜はまたまたアデレードの和食レストラン「さと」のオーナーであるアライさんにご招待していただき、飲んで食べて話をして楽しんできました。

今日、マレーシアのクアラルンプールに移動します。

写真は昨日のテーブル。初めてiPodで写真を撮ったのですが、光がないところで撮ると、やっぱり画質が悪いのですね。

そうそう、ニューヨークで買ったリモワのスーツケース、四輪キャスターで移動はすごく楽なのだけど、ファスナーが真ん中についていて、ふたの部分にも服などを入れることになります。
これがすごく使いづらく、これからは20年近く使ってきたサムソナイトに戻るかも。
本体に荷物を詰め、そのあと蓋だけを閉めるという従来からのタイプ。
やっぱり新型のファスナータイプはまだ改良の余地があると思います。
カズィーノ
イタリア語に「カズィーノ」という言葉がある。
混雑とか、混乱という意味だけど、それがずっと標準語だと思っていた。
ところが、ミラノに住んでいる日本の女の子が、良家のご婦人の前でこれを言ったら「そんな下品な言い方はしないほうがいい」と言われたという。
これを聞かされてから、この言葉がジャンクな言い方であることを知った。
だけど、今日は周囲でカズィーノが飛び交った。
イタリアの新生チーム・ジェオックスがティレーノ〜アドリアティコにもパリ〜ニースにも、そしてツール・ド・フランスにも招待されないのだ。
今回のツール・ダウンアンダー(英語圏のオーストラリアでも、ツアー・ダウンアンダーとは言わないのです、このレースは)にこのジェオックスの首脳が来ているのだけど、なんと他のチームの世話でやってきている。
内情を聞くと、やっぱり今も大混乱らしい。
自転車のことを知らない会社がスポンサーになると、ものすごく大変だとも言っていた。

元々は倒産したディアドーラを買収したことがきっかけだった。
ランプレのプロツール入りが昨年遅れたのは、ディアドーラからのスポンサー料が途絶えたことも一因だった。
それを救ったのがこのジェオックスだったのだけど、ジャネッティのチームを選んだのが悪かったということか。

ジャネッティが持っていたサウニエルの監督だったアルジェーリも、リッコの事件で職を失い、今年からジロなどでニュートラル・サポートカーを運転することになった。
非常に優秀で、僕も好きな監督だったのに、なんだか残念だ。
ツール・ダウンアンダー第2ステージ終了
カヴェンディッシュが落車して、血まみれでゴールした。
明日、スタートするのだろうか?

4月下旬、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュが終わったら10日間ほど日本に帰る予定にしていたけど、急にトルコ一周に招待されてしまい、状況はかなり厳しくなってきた。
厳しいというのは、帰国せずにそのままトルコに行き、そしてジロに入る可能性が一気に高くなってしまった。
本当はリエージュ〜バストーニュ〜リエージュの当日にレースがスタートするらしいのだけど、翌日の便の出発に振りかえてくれ、第2ステージからの取材の段取りをしてくれる。
さらに3台しかないオートバイの1台をあてがってくれるという条件までつけてきてくれた。
ああ、帰国便のチケットもすでに購入済みだが、またキャンセル料が発生する。
そのかわりドフィネをやめ、ジロが終わったら帰国してしまおうと考えている。

家に4月の帰国が遅くなるかもしれないと連絡をしたら、「お土産買ってきてね!」で終わってしまった。
もっと悲しんでほしいものである。
アデレードから
オーストラリアのアデレードで行われているツール・ダウンアンダーを取材しています。
真夏だけど、そんなに熱くもなく、快適です。

昨日はアデレードで日本レストランをやっているアライさんのお宅におじゃまし、おいしい和食をごちそうになってしまいました。
アライさんは昨年のメルボルンでの世界選で日本チームのお手伝いをしてくださった方です。

朝から夜までずっと仕事だけど、ジロやツールみたいに移動がないだけかなり楽。
ジロやツールが毎日こうだったらどんなに楽かと思いますね。
JAL、やっぱり好きです
昨日はチクリッシモの打ち合わせをしたあと、都内で宿泊。
そして今日は成田空港に、なんと出発7時間前に到着。
飛行機や天候などのトラブルで長時間空港に閉じ込められたことは数えきれないけど、自発的にここまで早く空港に着いたのは初めてのことだ。
なぜかというと、ホテルには11時までしかいられなかったので、空港のラウンジで仕事しようと思ったのだ。
なにしろ、毎年恒例のチクリッシモ選手名鑑の原稿書きがあるのだ。
ツール・ダウンアンダーでは、すでにフランスなどからかなり厳しい撮影のリクエストが来ていて、原稿書きはちょっとできそうにないので(夜は酒を飲まなくてはいけないし。あっ、別に義務ではないか)、やれるだけやっておこうと思ったのだ。

チェックインをすると、いきなり今年最初のアップグレード!
「申し訳ないのですが、座席がないので、ビジネスの方にいっていただいてもよろしいですか?」なんて、あったりまえにOKっすよ。

先日、もうよほどのことがないかぎりJALは使わないと宣言しちゃったけど、オーストラリア行きは今回もJAL。
やっぱり、最良の航空会社ですぅ。
辛い時期を乗り越えて、がんばってくださいっ!!

でも先日、クラシックとジロの間にいったん日本に帰国するためにパリ発のチケットを買おうと思ったら、ANAは料金が出ていたけど、JALは出ていなかったので、買えなかった。
せっかく羽田着になったのに。
しかたがないのでANAを買ってしまった。
ギブ・アンド・テイク
ギブ・アンド・テイク
12月にリクイガスの合宿の取材に行ったイタリア・サルデーニャ島のオルビアにあるホテル。
当初、リクイガスのパトロンが買ったと聞いていたけど、現地に行ってみると、話は複雑で買ったとは言えないらしい。
まあ、とにかく立派な施設だったし、ご飯もおいしかった。
http://www.geovillage.it/

選手たちがライディング・ポジションのテストを行う部屋に行っているときに、バッソからケータイに「すぐに来てくれ」という電話がかかってきた。
指定された場所がどこなのかよくわからず、うろうろしていたら、また電話があって、「あと何分で来る」と急いでいる。
ようやく見つけ出すと、絵の写真を撮ってくれという。
何がなんだか分からないまま撮り、それをバッソのメールアドレス宛に送るように言われた。

今日、たまたまホテルのサイトを見たら、その写真が載っていた。
絵はレアル・マドリードの監督モリーニョだったことも、今になって分かった。
どうやら、ホテルの発起人がバッソに絵をプレゼントしたらしい。

こういう“パシリ”みたいなこともときどきあるのだけど、その分、僕がなにかをお願いするときには、やってもらえることになる(はず)。
ベルギー特集
海外の自転車競技の雑誌は仕事柄気になるのだけれど、最近誕生したアメリカのプロトンのアートワークは大好きだ。初めて見たとき、釘付けとなった。
先日、リクイガスの合宿にこのプロトン、オーストラリアのライド、そして日本のチクリッシモをお土産として持っていったのだけど、どれも好評で、「イタリアにはこういう雑誌がない」と意見が一致。
っていうか、どれもヨーロッパにないテーストだ。

近々プロトンの第2号が出るけど、その予告がここにある。http://www.pelotonmagazine.com/
ベルギー特集なのだけど、なんとベルギーのビールが掲載されているではないか!
なんでこの仕事を俺に回してくれないの!
正月でけっこうアルコールを飲んだけど、ベルギーのビールが恋しい。

数日前、JALカードの雑誌アゴラが送られてきた。
シーズン中は忙しくて、どのカードの雑誌も封を開けずに捨てているのだけど、今回たまたま見たら、リエージュでビールを造っている日本人がいるという!
世界の自転車を取材して生計を立てているこの日本人が驚きましたわ。
今井礼欧さん(れおさんとお呼びする。なんて素敵な名前)が造られている欧和というビールです。
ベルギーに滞在する春のクラシック後半戦で飲めるかなあ。
初心忘るべからず
購入して1年未満の無線ルータ、NEC AtermWR8700Nが壊れた、と思う。
とりあえず取り外して、以前使っていた別の無線ルータを使うことに。
海外に行っているときにこれが壊れたら近くにルータ関係のことが分かる者がいないので、大変なことになっていた。
パソコンや、そのソフトの操作が分からないというときには、スカイプで顔を見ながら教えたことが何度もあるけど、ルータだとスカイプ自体がつながらない。

僕の仕事は機材のトラブルがいつ起きるか分からない。
壊れたから撮れなかったでは仕事にならないから、長期間のレースのときには、パソコンやカメラの予備は持っていく。
だけど、飛行機やクルマに積める荷物には限界があるわけで、どの予備をどのくらい持っていくかは迷うところだ。
幸い、近年大きなトラブルに見舞われたことはなく、強いて言えばオートバイの故障だけが昔も今も変わらないような気がする。
昔はカメラにしろパソコンにしろ、トラブルは本当によくあった。
マレーシアの田舎で、Macの電源アダプターが壊れ、かなり困ったこともあった。
2006年ジロのモンテ・ボンドーネのステージのレース後は激しい雷雨に見回れ、先にプレスルームを引き上げた自分は被害がなかったが、そこで仕事していたほとんどの人は電源アダプターが一瞬で壊れた。

トラブルが少なくなっていくと、油断することも多くなっていくわけで、今日のルータの故障は、いい教訓になった。
シーズンインまであと2週間
シーズンインまであと2週間
新年、おめでとうございます。
自転車ファンの方々には今年も良いことがたくさんありますように。
私は危ない仕事をやっているにも関わらず、おかげさまで昨年は怪我や病気をすることもなく、無事に長いシーズンを終えることができました。

世界のレースのカレンダーは1995年以降ほとんど変わっていなかったのですが、近年はヨーロッパの外でシーズンインを迎えることになってきました。
私は今年もオーストラリアのツール・ダウンアンダーを皮切りにツール・ド・ランカウイ(マレーシア)、ツアー・オブ・カタール、ツアー・オブ・オマーンを1月中旬から約1ヶ月間取材してきます。
ヨーロッパには3月初旬に渡り、おそらくティレーノ〜アドリアティコから入るでしょう。

今年はジロが終わったあと、初めてドフィネに行く予定にしています。
スタートにあるヴィラージュでもっともおいしいものが食べられるレースと聞いたからではなく、クライアントを満足させるためです。
いろんな国の媒体で仕事をやっていると、レースに行く必要がどんどん強まっていきます。今年150日レースの取材をしたならば来年は180日、再来年は200日となっていかざる得ないのです。人(企業)の欲望は果てしない!

オフシーズンに入って2ヶ月が経過し、最近はレース会場の雰囲気がなんだか懐かしく感じるときがあります。
レースで食っている連中が良く言うところの「シーズン中はうんざりだけど、離れてみるとやっぱり恋しくなる」という一つの職業病ですね、これは。

写真は昨年のツール・ダウンアンダーの前にアームストロングがホームページやらツイッターやらで呼びかけたパブリックライド。数日前の告知だけで、これだけの人が集まるという異常事態!このときの写真は雑誌のグラビアになったり、新聞に大きく出たりしました。これほど世間を動かす選手というのは、もしかするとコッピ以来かも?