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グーグルアース
昨日、スペインのホテルをほめて甘やかしたのがいけなかったのだろう、10カ所くらい、ダニに刺された。
ホテル暮らしが長いから、ときどきあるのだけど、温暖な南スペインは(今は猛暑。今回審判をやっているジロの女性副レースディレクターのボンファンティは“もう死ぬ”と言っていた。大げさな)ダニにとっても過ごしやすいのだろうな。
蚊と違って、何日もかゆみが続くのがいや。

今日のがゼッタは、僕の撮ったニバリの写真を使っているが、タイトルは
「グーグルアースを味方に付ける」
前夜、コースをこれで勉強するのだそうだ。
将来のレースは無線禁止の方向に向かっているが(同じく今日付けのガゼッタはベッティーニのコメントとして、メルボルンでの世界選では99%禁止だろうと報じている)、グーグルアースはいいのだろうか?
“もう死ぬ”に聞いてみるか。
夜のレースは絶対反対
夕べはマルベリャ(アンダルシアの海岸線の町)から15kmほど山に入ったホテルに泊まった。
山の中で、エアコンがなくても眠れて快適。
スペインのホテル、近代的な大きなやつじゃなくて、家族経営のこじんまり型に関して言うと、ヨーロッパでいちばんコスト・パフォーマンスが良いと思う。
どこに入ってもだいたい清潔で安い。インターネットも無料で使えるところが多い。

しかし、初日の夜のチームタイムトライアル。
タイム計測が難しいらしい(最後は遅れる選手が出るからなあ)のだけど、レース終了後も集計するのに時間もかかったらしく、しかも、ジャーナリストがプレスルームで仕事するので、オーガナイザーのプレス担当者が寝たのは朝4時だったという。
毎日レースがあるステージレースで、これはないよ!
ツールの初日のプロローグが遅いだけでもすごく大変で、生活のリズムを戻すのに時間がかかる。
僕も夕べは睡眠不足でぐったりだった。
もう深夜のレースはやっちゃいかんよ。
祖先の地に詣でる
祖先の地に詣でる
今、コリア・デル・リオという町に泊まっています。セビリャから10kmほどのところにある町。
以前から行きたくてたまらなかった。
なぜかというと、ここにハポンという姓を持つ人が数百人住んでいるそうだ。
それは、1614年に支倉常長をリーダーとするプロチーム、じゃなかった使節一行が帆船に乗って日本から遠路はるばるこの地にやってきたのだ。
その末裔が住み着いたという説があるのだ。
クルマに乗ってホテルから5分ほど走り、とうとう見つけたぜ支倉常長の銅像を。
機械がない時代に風の力だけをたよりに日本からヨーロッパに来るなんてすごい!これぞ国民栄誉賞をあげるべきではないか。

銅像は一時、落書きだらけだったらしいが、今は黒く塗りつぶされている。
だけど、名前のプレートや言われも書かれていないため、地元の人はきっと何の銅像か分かっていないのではないだろうか。

国際貢献と称してはいるものの、どんな国でどんなふうに使われているのかさっぱりわからない我々の税金。
まずはここにプレートをはめ込んでほしいよ。

その後、コリア・デル・リオを歩いてきたが、いい町だった。
ほのかに日本の匂いがした...(ああ、ちょっと誇張)。

おお、ジロ・デル・ヴェネト、1位オス、2位サガン。リクイガスのワンツーか。結婚する前、女房に初めて見せたロードレース。当時の愛車プジョー505でかなり激しい運転をして追いかけたので、ひきつってました。20年前の話ですが。
ラテンの国にいます
昨日のチームプレゼンテーション、プレスルームから大きな船で行った。
数キロ乗って、設営会場に到着。選手たちも既に集まっていた。
ホアキン・ロドリゲスとしゃべった。ジャパンカップの記者会見で今年は参加しないという本人のメッセージが流されたけど、プロツールのチームポイントが結構いいところにいっているので、世界選が終わった後もまだ走り続けるかもしれない。場合によってはジャパンカップも行くよと。
こんな感じで、レースを走る、走らないというのは、どのチーム・どの選手もけっこう流動的なものである。

しかし、会場を見たとき、「ああ、もし停電になったら大変だろうな」と思った。
ラテンの国ではよくあるのだ。
ミラノの家もしょっちゅうブレーカーが落ちる。
ちなみにイタリアは電気料金がヨーロッパの中でもかなり高いらしいのだけど、それは原子力発電がないからなのだそうだ。
チェルノブイリの事故の後、国民投票によって否決されたのだ。
あの事故のあと、イタリアに行ったら、野菜の流通も1週間なかったと友達が言っていたのを覚えている。
とにかく、そんなことを考えながら、そして眠気と戦いながら撮っていたら、案の定、停電。
レースディレクターがまっさおになって走って行ったけど、周りの人たちは別になんにも焦っていない。
「ああ、停電だ」くらいの反応で、僕もビールを飲んで、さらに眠たくなって、座って寝ていたら、やっと戻った。
ホテルに戻ったのは12時。それからバールに行って食事をして寝た。

今朝は8時に起床。
ホテルの近くの別のバールでトーストにオリーブオイルをたっぷりとかけたやつを食べてきた。これにコーヒー牛乳(なんて言わないのかな?だけど、スタバの怪しいイタリア語だけはやめてほしい。日本語にしろ)をつけて1.6ユーロ。安すぎる!
スペイン到着
朝4時に目覚ましをセットしていたけど、時差ぼけもあって、3時半に起床。
マルペンサ空港に向かったけど、バカンスで道路はガラガラ。空港も、出発する人はさすがに少なく、並ぶことなくチェックインできた。
大会終了後マドリードからミラノまでの帰りはルフトハンザだけど、このミラノからマラガまではイージージェットという安売り航空会社だ。
荷物の重量オーバーにうるさいのだけど、今回はなにも言われずにセーフ。
もっともオーバーもしていないのに、妙に神経質になっている。
だけど、もし機内持ち込みのカメラバックの重さを量られたら一発でアウトだ。

マラガでレンタカーを借りたら、アウディA3ワゴンがあてがわれた。
おお、ラッキーと思ったけど、すでに9万キロ走っていて、しかもタバコの匂いが充満。灰皿を空けたら、吸い殻がぎっしり詰まっていて、ゴキブリを見たときのようにホントどきっとした。掃除しろよ、エイビス。
ホイールバランスも狂っているし、すぐにエンストしちゃうし、ああ、交換してもらいたい。
外は気温38度。光は強烈。
マラガから200kmほど走ってセビリャに到着。
大会の受付場所であるホテルが分からず、ここでますますブエルタに来たことを実感。いつもこんな感じだもん。
今、プレスルームにいます。
チクリッシモに書いてくれているフランスのケネが、最新号を持ってアンディ・シュレクのところにインタビューに行ったら、本を見て大喜びだったそうです。

チームプレゼンテーションが終わったら、なんかうまいもん食おっと。
今年は卓上カレンダーもあります
今年は卓上カレンダーもあります
ミラノに到着しました。天気はいいのですが、日本みたいに汗が落ちてくることはありません。やっぱり乾燥していて過ごしやすいです。
家でインターネットにつなごうとしたら、できない!
もう仕方がないので、近所のホテルの回線を使わせてもらってます。
ADSLのモデムって、新しいコンピューターに対応できないことがあるのでしょうか?
だれか教えてくださ〜い。
明日早くの飛行機でブエルタに向かいます。

ジェイスポーツのカレンダー、また出ます。
そして今年は卓上カレンダーもあります。
それぞれ違った写真で構成されています。
詳しくはジェイスポーツのホームページをご覧ください。
http://shop.jsports.co.jp/top/search/asp/list.asp?s_cate1=1&s_sname=2011

写真は卓上カレンダーの表紙です
ヨーロッパからオーストラリアに行くのは大変
オーストラリアのRide誌のメインフォトグラファーをやっているけど、デザインの面では世界一だと思っている。
実際、その雑誌を見てコンタクトをとってくる企業などもあるのだけど、その一つがメルボルン近郊で行われる世界選のオーガナイザーだった。
一昨年のツールでのエヴァンスの写真を買いたいとのことで、それがオフィシャルマークとなった。
昨年のツールでは広告キャラバンを出して絵はがきをばらまいていた。
最近サイトを見たら、そのあとエヴァンスが世界チャンピオンとなったものだから、アルカンシェルジャージを着ている写真になっている。
なんか、いい金をもらったのに、申し訳なく思った。

今年が21回目の世界選取材になるけど、現地までの旅程は、コロンビアに行った1995年以来の大変さ。なにしろヨーロッパから直行便がないので、乗り換えを含めると24時間くらいはかかるのだ。
クネゴが勝った2004年のジロ期間中、シドニーでのトラック・ワールドカップを取材するためにミラノから行ったことがあるけど、辛いのはもちろん、あまりに忙しすぎてミラノのリナーテ空港に行かなくてはならないところをマルペンサ空港に行ってしまうというポカをやってしまった。

幸いにして、これまでと年間スケジュールがちょっと違っていて、ブエルタが終わったあとに1週間の休みがあるのが不幸中の幸い。
数年前まではブエルタが終わると同時、あるいはパリ〜トゥールが終わると同時に世界選会場に移動していたのだ。

しかし、世界選が終わった翌日にはミラノにとんぼ返りだ。
パリ〜トゥールとロンバルディーアが残っている。
オーストラリアでシーズンを終え、そのまま時差がほとんどない日本に戻れたらどんなに楽だろうと思っている。

今は横浜駅前のホテルにいるのだけど、今日は富山に行き、そして来週からのヨーロッパ行きの荷物をまとめる。火曜日にまた東京に来て、水曜日に出国。これがJAL直行便による最後のミラノ行きとなる(悲)。
ブエルタの初日はミッドナイトレース
数日前に初めて知ったのだけど、ブエルタ初日のチームタイムトライアルは夜に行われる。
最初のチームのスタートが10時で、終わるのがなんと12時。
12時では新聞の締め切りは過ぎているから、ミルク代が稼げない。
そもそもコースの照明の具合が心配。
いくら最近のデジカメの高感度での撮影が進歩したとはいえ、きっと厳しいものになるだろう。
それに、日本から到着したばかりで、12時と言えば日本時間の朝7時。徹夜しろということか。
とにかく、初めての試みらしいけど、自分としてはとても辛い。
唯一救われるのは、スペインのレストランが夜9時くらいからしか開かないこと。
深夜12時だったら、まだ開いているところが多いはず。
ローカルレース真っ盛り
今日はイタリアでコッパ・アゴストーニがある。
ミラノのうちの近所を通過するのだけど、世界選が8月末に行われていた1994年までは、イタリアナショナルチームのメンバーの参加が義務づけられることが多く、コースは世界選同様に厳しいアップダウンの周回だった。

当時は今よりも自転車の人気がずっと高かったし、国代表の選手が全員見られるとなると、コースには人垣ができたものだ。
ヘルメットが義務化されるのはずっとあとのことだ。だから選手の顔も今よりはっきりと見分けがついた。
クルマにエアコンがついていないのがほとんどで、運転する監督たちに上半身裸というスタイルも少なくなかった。
ジロやツールだって、裸で運転している人がいっぱいいたのだ。今では信じられないことだ。
沿道のおっさんたちもラニングシャツや裸が多かった。

今日、アゴストーニのコースマップをインターネットで見てみたら、世界選とは関係ないレースとなってしまったせいでサーキットではなく、ロンバルディーアに近いものとなっていた。
僕にとってのロードレースの原点はジロやツールではなくて、このアゴストーニや昨日のトレヴァッリ、明日のベルノッキみたいな、ローカルなレースだ。
レースの名前を聞くと、昔のことが思い出される。
内容が時代と共に変わっていくのがちょっと残念ではある。
A・シュレクのポスター付き!
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チクリッシモ No.20についているA2判ポスターです。
チクリッシモ No.20 8月20日発売
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自転車ロードレース専門誌『CICLISSIMO』(チクリッシモ)No.20が8月20日(金)に発売されます。ツール・ド・フランス完全レポートの増ページ・特大号です。3度目の総合優勝を果たしたアルベルト・コンタドールと総合2位アンディ・シュレクの激闘を中心に深くしかも広くレポートします。ツール2年目の新城幸也、最後のレースとなったランス・アームストロング、ニューモデルが登場したチームバイクにも焦点を当てました。インタビュー記事も充実。マルクス・ブールクハートとロベルト・へーシングが登場します。スクープ記事、UCIによる自転車スキャン検査はフランスメディア以外で唯一取材に成功した成果をお届けします。『CICLISSIMO』no.20は、どこよりも詳しく2010ツールをレポートします。どうかお楽しみに!
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『CICLISSIMO no.20』〜ツール・ド・フランス完全レポート特大号〜
雑誌04138-9
八重洲出版発行

8月20日(金)発売
付録とも税込み定価1,680円
全140ページ
付録:砂田弓弦ツール撮り下ろしA2判アンディ・シュレクのポスター

特集:ツール・ド・フランス完全レポート
   ・全ステージ詳細レポート
   ・V3のコンタドール
   ・総括 総合上位選手の2010ツール
   ・期待はずれに終わった有力選手
   ・ランス・アームストロング時代の終焉
   ・スクープ! UCIの”自転車スキャン”検査
   ・新城幸也2年目のツール
   ・トゥルマレ峠の激闘 コンタドールvsアンディ
   ・2010ツールを駆け抜けた最新機材
   ・小河原政男のツールスケッチブック
    ほか
トンネルの向こうに光が見えた
買い替えたばかりのMacBook Pro、前のもの(3年前に購入したMacBook Pro17)に比べて暑い中でもそれほどファンが回らないし、とても安定している。
もう成熟の域に達している感じで、仕事で使うものはやっぱり出たばかりの新型ではなくて、こうしたメジャー&マイナーチェンジを繰り返したものがいい。
クルマもカメラもいっしょだもん。
10年ほど前に日本で購入したクルマも、マイナーチェンジしたものをあえて選んだのだけど、大正解だった。
これまで、出たばかりのパソコンや、そのソフトを使って痛い目にあったことは数えきれない。
あのタイムロスを考えると、仕事用の買い物はやっぱりこうじゃないとね。
実際、出た直後のカメラは買わないというプロカメラマンはいっぱいいる。

昨日は、以前から欲しかった電動ドリルを買った。
さっそく今日、日曜大工で家の中に小物を取り付けた。
こっちはマイナーチェンジがどうのこうのじゃなくて、いちばん安いものを選んだ(仕事じゃないから)。
昔、ツール・ド・フランスのスポンサーでもあったRYOBIのものだったしね。
仕事柄、ついついチームやレースのスポンサーになっていたものを買ってしまう。
とくにイタリアで使っているものにはいっぱいあって、シャンプー、洗濯機、コーヒーメーカー、接着剤、パジャマ...。

秋に出る予定のジロの写真集の写真選びと周辺作業が終わり、明日には版元に発送できる。
今日はビールを飲んで、久しぶりにテレビでも見よう。
略語使うな、若者よ
略語使うな、若者よ
毎日、レースの結果を見て記録するのが習慣なのだけど、先日バッソが優勝したカルナゲーゼ、似たような名前の大会がごちゃごちゃになっていたので修正した。
なにしろ同じような名前のレースが3つあるのだ。
1 GP・インドゥストリア・エ・アルティジャナート・ラルチャーノ
2 GP・インドゥストリア・エ・コッメルチョ・ディ・プラート
3 GP・インドゥストリア・エ・コッメルチョ・アルティジャナート・カルナゲーゼ
こんな長い名前をちゃんと呼ぶ人は皆無で、それぞれラルチャーノ、プラート、カルナゲーゼと呼ばれる。

だけど、チーム名は略してはならない。
各チームのスポンサーであり、メディアが第2スポンサー以下を読み書きしないならば、いったいどこの企業がチームをサポートしようか。
チクリッシモでは、まだ日本がそこまで行っていないこともあって、第1スポンサーしか表記していないけど、たとえばガゼッタは必ず第2以下も表記する。

今年のツール・ダウンアンダーでこんなことがあった。
プレスルームで仕事していると、リクイガスの監督マリウッツォが意気込んでやってきて、
「サイクリングニュースの記者はいるか」という。
「うーん、今ここにはいないみたい」というと、
「そうか、そいつにあったらこう言っておいてくれ。記事を書くときはリクイガスではなく、リクイガス・ドイモだと。今、イタリアのチーム側から連絡があったんだ」
そのあと、担当記者にマリウッツォがそんなこと言っていたよと伝えると、
「じゃあこれからはアンドローニジョカットリ・セッラメンティ・ピーヴーチー・ディクイジョヴァンニと書けということか」と、むっとしていた。

ちなみにマリウッツォは、僕が前日に写真を撮ったのを覚えていて、それをくれという。
1枚プレゼントすると、ニコニコ顔で帰って行った。
その写真を掲載します。
キャプション
先日ポーランド1周で優勝したグアルニエーリにボトルを渡すリクイガスの監督、ああ、失礼リクイガス・ドイモの監督マリウッツォ。
シクロチャンネルがリニューアルされています
シクロチャンネルがリニューアルされています。
https://www.cycloch.net/
その中のコラムにといくと、僕の書いた記事がみられます。
過去の記事もアーカイブされています。
これまで1週間ほどで消えていたのですが、これからはいつまでも読んでもらうことができます。

それからこのサイトでは、ツール・ド・フランスのインターネット・ダイジェスト版が見られます。
海はひろいな、大きいな
午前中に子供を連れて海に行ってきました。新潟県に近い宮崎海岸というところで、水がいつもきれい。
イタリアの海と言えば、南イタリアのアドリア海側がものすごくきれいで(日本人で自分よりもイタリア各地に行っている人にはまだ出会っていません)、天気がいいときは、強烈な青。銀塩カメラに詳しい人なら、ベルビアで撮った青と言えばわかるかも。
この仕事をやめたら、まっさきに南イタリアに旅行に行きたい!もう、ジロで通過するたびに誓っています。
だけど、イタリアで実際に泳いだのは1994年のシチリアでの世界選が最初で最後。
日本からやってきたスポーツ新聞や通信社の記者たちにせがまれて同行しました。
良い思い出です。

実はメキシコの海への誘いもあります。
去年からブエルタ・チワワにカンクンでのクリテリウムがくっていて、これに来ないかと強く勧誘されました。
招待だから、航空券を含めてすべて無料です。
カンクンでは海に入れるし、強い選手は家族同伴もOKです。
僕にはパリ〜トゥールやロンバルディーア、それからジャパンカップもあるので、後ろ髪を引かれつつ断りました。
今年はバッソがカンクンに行きますから、ジャパンカップ来日はありませんね。
シュレクやコンタドールも行くかもしれません。
うーん、海もさることながら、彼らの写真を撮りに行きたい!
写真集の準備で39x15
写真集の準備で39x15
イタリアの携帯電話の請求をみたら、ツール・ド・フランス期間中に日本にいる妻の携帯電話に1時間かけたことになっていて、それだけで1万8000円。
消費者の権利が行き過ぎのアメリカも困ったものだが、権利が確立されていないイタリアでは泣き寝入りするしかないと思う。
かけていないことを証明する手だてがなく、ローマでぼったくりにあった日本人観光客のように、日本のイタリア大使館に駆け込んでちゃぶ台をひっくり返すしかないのかなあと思っている。

今、ジロの写真集の準備に追われている。8月25日の出国まである程度は形にしていかなくてはいけない。それに、毎年全力で取り組んでいるジェイスポーツのカレンダーもある。
時間がないのだけど、この猛暑でいやはや...。
だけど、圧倒的なコストパフォーマンス?だったツール・ド・フランスの写真集よりもさらにパワーアップするという噂もあって、12%の上りを39x15で走っている(一部、数字に誇張がありました)。

そうそう、ツール・ド・フランスの写真集「七月の輪舞」をお持ちの方は、154ページの写真を見てください。
VIPカーを運転する関係者が飛び出して、アルヴェセンの自転車を直しているやつです。カタールで、ASOのトップであるプリュドムからあの写真が欲しいと言われ、プレゼントしました。
なんと、ASOのマーケティングのトップの人だそうです。
そして今年のツール期間中に行われたブエルタのプレゼンテーションで、本人から
「君のことを知っている」といわれ、最初はわからなかったのですが、
「あの写真集に出ている...」と言われて思い出しました。
ちなみにプリュドムは彼をマヴィックのメカニックとして働かせると言っています(笑)。
移籍はコンタドールだけじゃない
今、ポーランド一周が行われている。ガゼッタはイタリア人が勝ったときだけ写真付きで報じているが、勝てなかったときは3行ほどで終わるという、いつもの悪いパターンになっている。
というのは、いちばんのニュースがコンタドールの移籍話で、これには世界の目が釘付けだろう。
僕の仕事先の自転車メーカーも動いているので、個人的にも注意している。
だけど先日、社長の息子が「ハーイ、チクリッシモはいいね」なんてのんきなこと言ってきたけど、この非常時にいいのかなあ。

選手の契約話もこれから盛んになっていくときなのだけど、これは僕も同じこと。
今、アメリカから新しい雑誌を出すからと契約話が来ているけど、条件はこれまでのところとは手を切ってくれという。
また、フランスで有名なイヤーブックからもちょっとした話があるけど、ここで仕事すると、関係が失われてしまうところが出る危険がある。
前にクネゴの家に行ったとき、「レースに勝つ、勝てないというのは、瞬間的な決断で決まるんだ。アタックに乗る、乗らないといったコンマ何秒の判断だよ」と言っていたけど、同じことで、ちょっとの判断で将来の道が大きく変わってくる。
今、ちょっと緊張しているのだけど、とりあえず掃除をし、自転車に乗ってから返事をしようと思う。
仕事がはかどりません
ジロの写真集の準備をしているけど、なかなか進まない。そのいちばんの原因は、銀塩写真とデジタル写真が混ざっていて、両方から選んでいること。
もし、デジタル写真だけから選ぶのであれば、パソコンを駆使してもっと短い時間でできるのに。
おまけに、注文していたMacBook Proが今日届き、セットアップも同時にやっている。
ところがこれまでのパソコンのデータを、Time Machine経由で移行するとゴミまで持ってくるのが嫌だし、試行錯誤もあって今現在すでにOSのインストールのやり直しが4回目!

「仕事がうまく行かないときは、腕時計を代える」というのは、エルネスト・コルナーゴから教わった脱出策。
だけど、そんな何個も持っているわけではないし(ああ、そういえばエルネストからもらったコルナーゴの腕時計3、4個どこかにあるはず。探そう!)、家の中では腕時計はしない。
じゃあ、一昨日買ったアンジェラ・アキさんのCD2枚を聞こうか。
とにかく、仕事がはかどるリズムをつかみたい。
バッソが2年間の出場停止からレースに復帰した直後によく「レースのリズムをつかみたい」と言っていた、あれね。
自分はまだツール・ド・フランスの取材モードのままなのかも。

ところで先日、パリの空港でアスタナの監督をやっているマルティネッリと話をしたことを日記に書いたけど、今から考えると、コンタドールがリースの元で走ることは、もっと前から知っていたのだと確信した。
ここでは書かないけど、彼の言葉にはいろんな意味が含まれていたのだ。
トラックに突っ込んだ(汗)
昨日、エアコンとテレビを買ったら、懸賞の応募はがきをもらった。
ふだん、こうしたものにはまったく興味がないのだけど、今回の景品が全国のおいしい特産品だったこともあり、おもわず記入してしまった。
朝、自転車に乗るときに、これを郵便ポストに投函しようと手に持ったまま自転車に乗ってガレージを出た。
ペダルに足を入れるために下を向いてこぎだしたところ、氷山に衝突したタイタニックなみの衝撃が...。
地球の引力に逆らうことができず、そのまま地面に向かうまでの0.2秒くらいの間に思い出した。
「庭木の剪定に来ている庭師さんたちのトラックだ!」
止まっている2トントラックに、正々堂々と正面から突っ込んだというわけだ。

昔の鉄のパイプでできたフレームだったら、フロントフォークかダウンチューブが逝っていたかもしれない。
幸い自分の身体も、そしてイタリア製のカーボンフレームにも故障はなく、チェーンが外れただけだった。
でもこれがレースだったら、またコンタドールがアタックするところだったぜ。(でも今年のツールの場合、コンタドールを非難する方がおかしいよ。ブーイングする神経がよく分からない)

いずれにせよ、みなさんもハガキを手に自転車に乗るのはやめましょう。
それから自宅の敷地内でも、油断せずに前を見て走りましょう。