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時差ぼけ辛いよ
こんなに厳しいロードの世界選はこれまでなかったかも。
何が厳しいか...。想像以上の上り....とかじゃなくて、時差ぼけ。
睡眠時間は一昨日は3時間、昨日は4時間。今日はずいぶんよくなって6時間。
昨日はシャトルバスの中で寝てしまって、ゴールについてから起こされた。
さらにプレスルームでちょっと顔を伏せて目をつぶったら、そのまま寝込んでしまった。
共に同業者たちから笑われてしまった。
みんな、ヨーロッパから来たのによく大丈夫だなあと、こっちが感心するよ。

今日の朝ご飯のとき、日本チームのところにおじゃました。
みんな明るくて元気。
これからがんばってくれ!

今、プレスルームにいますが、あちこちからコンタドールという声が聞こえて来る。
まったく良くないニュースである。
ジーロングから
ジーロングから
相変わらずの時差ぼけ。
夜10時にベッドに入って、目を覚まして時計を見たら10時半。もしかして寝過ごしたか!と思って外を見たら真っ暗。
わずか30分寝ただけで、朝と間違えて起きたのだ。

会場には、僕の撮った写真から作った絵はがきやポスターがある。
エヴァンスの写真で、一部はアルカンシェルに変えられているが、古いものをそのまま使っている方が多い。
記念に何枚かとっておくことに。

ホテルには日本チームのほか、フランスチームも泊まっているのだけど、レキップの連中も泊まっている。
今朝、そのレキップのカメラマンといっしょに朝ご飯を食べた。
お昼ご飯を食べないから、朝ご飯はお互いに腹に入るだけ詰め込む。
彼から、今度出るヴェロマガジン(レキップが出している自転車月刊誌)に僕の撮ったジルベールの写真が複数使われているらしく、やっぱりジルベールが世界的に優勝候補に見られているようだ。
彼に、フランスチームのエースを聞いたら
「シャヴァネル...だけど、特になにもないな」と、すでにあきらめている。

当然ながら僕は日本の選手を応援している。
メルボルンから
時差ぼけで、辛い!
10時に寝て、夜中2時に目が覚め、もう朝まで一睡もできず。
暇だから、仕事してました。
暇があると、つい仕事してしまいます。
ホテルの暖房が弱く(三菱のエアコン)、寒くて良く眠れなかったというのもあります。
しかし、つい先日までスペインでは冷房だったのだけど...。

ポッツァートがプレ世界選(?。こういうの初めて見た。世界選のジャージを着て走るのですね)で勝って、調子が上がっているからいいけど、もしイタリアが勝てなかったら、一昨日のジロ・ディ・トスカーナで勝ったベンナーティをなぜメンバーに入れなかったか論争が起きるのは必至だろうなあ。
なにしろ、ニュースによると、自腹でこの世界選のコースの下見にも来たらしいから。
チポッリーニもベンナーティがなぜ選ばれないのかとコメントしていた。
バッランもメンバーから漏れたけど、本人の談話に笑ったのは
「もっと毎日ベッティーニと電話連絡するべきだった」と。

とにかく、今となってはポッツァートにがんばってもらうしかない。
世界選のために、5ヶ月間、女を断っているとガゼッタがブエルタ期間中に大々的に報道した。
そのとき、僕の写真も使われたので本人にそのことを聞いたら、本当だけど、世界選のためとういのはでっち上げだそうだ。
さすがガゼッタ。
販売促進活動はいつものことである。
今日現地入りします。4時からカメラマン会議。

ジーロング到着。
ホテルにチェックインすると、ちょうど日本チームが朝食を食べているところ。みんな元気です。
受付を済ませ、レンタカーを返却し、銀行でトラベラーズチェックを両替。
めったに使わないトラベラーズチェックだけど、外国からの支払いをシティバンクでその国のトラベラーズチェックに替えて使う方法を積極的にやることに。
田舎だからか、5000ドルを替えるのに3人がかりで30分!
でも金髪のきれいなおねえさんが一生懸命だったから、許す。
シンガポールから
シンガポールの空港にいます。
ミラノから今到着し、ここで2時間強の待ち時間の後、メルボルン行きに乗ります。
3年前の2月かな、マレーシアでのツール・ド・ランカウイの取材を途中で切り上げ、マレーシアのどこかの町からタクシーでシンガポールのこの空港に来て、そこからコペンハーゲンへトラックのワールドカップの取材に行きました。
2004年2月にマレーシアから気温差70度のモスクワに行ったときほどではなかったけど、けっこうこたえました。
しかも、日本に帰るのに、またシンガポール、マレーシアと経由したのです。
どっちかでかなり時間をつぶさなくてはいけなくなって、マレーシアのクアラルンプールに半日いたのですが、町中を歩いていて、なんとチクリッシモの主力ジャーナリストであるフランス人のケネにばったり出会ったなんてことがありました。

ミラノからここまで来るのに12時間。
ここからメルボルンまでまだかなりあります。
(数時間後)
今、メルボルンに到着し、レンタカーを借りて空港近くのホテルに入ったところ。
イタリアからフライトだけで22時間!
待ち時間を合わせると、丸1日以上かかる。

外国で右ハンドルのクルマを運転するのはかなり苦手。日本では違和感がないのに。
夜7時なのに、もう真っ暗で、空港近くに泊まって大正解だった。

明日、大会現地入り。
21回目の世界選だけど、偶然、日本チームと同じホテルに。
チームといっしょになったこと自体、リスボン大会でのスロヴェニアとが最初で最後だったけど、日本チームというのはあまりに偶然。
今から出発
夕べはバレーボールの世界選・日本対イタリアの試合をミラノに見に行った。
会場はものすごい熱気で、やっぱりイタリアの観客は熱い!
そもそも、会場のアナウンサーはジロと同じ人がやっているのだ。

僕はこれからマルペンサ空港に行って、シンガポール経由でメルボルンに向かう。
伝わってくるニュースを見ると、コースは思った以上にハードみたい。
僕はこれまで、世界選の前にコース見るようにしてきた。
イタリアのコースであれば、だいたいが前の年のジロで通過することが多かったし、昨年のメンドリジオはチクリッシモに地元の観光局からの招待が来て、視察ツアーに行ってきた。
それから来年のコペンハーゲンのコースも、ロルフ・ソレンセンのガイドのもと、トラック世界選で行ってきた(これは来年のチクリッシモに掲載予定)。緩やかなカーブが多いし、中央分離帯もたくさんあって、気が抜けないコースである。
ところが、今回はヨーロッパの外で行われるので、分かっていない人が多いし、もちろん僕も行っていない。
コースを見るまで、何とも言えないのだ。

昨日のミラノはすばらしい夕焼けがあったせいか、今日は快晴。
それでは次はメルボルンについてから書きます。

今、すでに現地に入っている沖から電話があり、朝はかなり冷え込んで、5度くらいとのこと。
着るもの、持ってきていないし、もうチェックインしたから、空港の中のブランド店のものしかかえない。
僕とは無縁の店だから、最悪オーストラリアで買うことに。
1日早く世界選見に行きます
急遽予定が早まって、明日土曜日に世界選に行くことになりました。
でも自転車じゃなくて、バレーボール。
明日からイタリアでバレーボールの世界選が始まるのだけど、懇意にしているミラノの旅行代理店から日本ーイタリア戦のチケットをいただけることになり、明日の夜、ミラノのアッサーゴというところに見に行くことになりました。
ここには6日間レースの取材で何度か行ったことがあります。
観客としてスポーツの大会を見に行くのは久しぶり。
11月5日発売のジロの写真集の原稿を今日全部書き終わり、日曜出発の世界選(もちろん自転車の)の準備も既に済んでいるので、夜9時からの試合開始も問題なし。

それから、最近日本の家の食器を買い替えているのだけど、結局ジノーリで揃えることに。
イタリア製だから、割れたときでも簡単に補充できるのが最大の理由。
まずは日本で3種・18枚を買った。
で、オートバイの運転手に教えてもらったウチの近くの店に行ったら、なんと同じものがちょうど今50%オフで、日本の4分の1!
今日はコーヒーとカプチーノ用をそれぞれ4人分+6人分(コーヒーは4人前しかなかった。取り寄せると50%オフにならないと言われて断念。まっ、これはいつでも買えるから)、サラダ用の深い大皿を1つ、それからオーストリアのリーデルのワイングラスを6つ買ってきた。これはあえてクリスタルではなく、廉価版にした。
クリスタルは扱いが難しいし、そもそもクリスタルに入れるような高級ワインはうちにありませんから(涙)。
日本への輸送には、写真の機材を入れるアルミの頑丈なボックスを使うから大丈夫!っと。

12月にもう一回イタリアに来るかどうかわからないけど、もし来たならば、グラスやお皿をさらに充実させたいし、いつものようにパネットーネやザンポーネ、干しイチジクにヌガーといった年末年始に食べる食材をまたスーツケースに入りきらないくらいに買わなくちゃいけない。

うーん、こうなると、なにか仕事を作らねばならぬのう。
世界選
今度の日曜に出発する世界選。
これほど層が薄いイタリアチームを近年見たことがない。
今のポッツァートではちょっと満足できない。得意の展開に持ち込んだとしても、ジルベールには勝てないと思う。
だれもが感じているのは、ベッティーニが友達関係をベースに選んだということ。
とうとうチポッリーニまで、タブーを破ってこのことを口に出してしまった。

僕はやっぱりマルティーニ時代みたいに、スター選手を揃えた時代がいちばん好きだった。勝てなかったら、めちゃくちゃに批判されるあのごたごたを笑っていた。
1999年の地元ヴェローナでの世界選なんか、優勝できる選手を5人以上揃えた。レベッリン、カーザグランデ、ターフィ、チェレスティーノ、ナルデッロ、ファレジン…。
スタートでこっちの背中がぞくぞくするようなメンバーだった。
結局フレイレにもっていかれたのだけど、それはそれでよしと...(僕はイタリア人ではないから)。

スペインにはフレイレという、とてつもない切り札がいるけど、チーム内部を見ると、バルベルデが抜け、そしてホアキン・ロドリゲスもブエルタの疲労を理由に辞退している。
これまたいつものスペインとは違う。
こうなると、オーストラリアの層がけっこう厚いのに気づく。
そのオーストラリアやアメリカ、イギリスなどはゴール勝負に持ち込みたいはずだから、日本選手は集団に隠れて足を貯め、最後の最後で勝負をかけなければならないだろう。

僕の予想はジルベール。集団スプリントになれば難しいが、数人の逃げだったら、確率はかなり高い。
家でまったりしてます
家でまったりしてます
ブエルタが終わってミラノの家に戻ったけど、日本の家ほどじゃないにしろ、居心地が良くてもう…。
取材から帰ったときの脱力感に見舞われていて、9時に寝てしまった。

昨年、ウチの裏のお屋敷にベルルスコーニ首相が引っ越してきて、よくヘリコプターで行き来している。元々桁違いの金持ちで、この辺のお屋敷だけでも3つ持っている。
お屋敷と言っても、庭が広大で、建物が見えないものばかりだ。
今も警察が警備に当たっているのだけど、彼らのおしゃべりの声で夜12時半に目覚めてしまい、冷蔵庫に入っているベルギーのビール(4月にベルギーで買いだめした)を飲み始めた。
夕食前にデュヴェルを、今はシメイを飲んでいるけど、これらのビールはそれぞれ専用のグラスがあって、これもいっしょに買ってきたのが大正解。このグラスで飲むからいっそうおいしいのである。

これからまたベッドに入って寝よう。
明日も原稿書きがあるけど、オーストラリアに履いて行く取材用のシューズを買わなくては。
そういえば、マドリードからの飛行機の中で読んだコリエーレ・デッラ・セーラ(ミラノの代表的な一般紙。ガゼッタと同系列なんだけど、最近僕の写真を使わなくなって頭に来ているので、読んでやったの気分)にバッソがスニーカー会社のコマーシャルに大きく出ていた。
ミラノ到着
ブエルタの最終ステージを終え、表彰式が終わるか終わらないかのうちに会場を後にし、マドリード空港に向かった。
空港で写真整理を終えて、発送も完了。
ミラノの家に着くのは真夜中なので、これで安心して帰ることができる。

今回のブエルタでは、バッソに続いてニバリが今季2枚目のマイヨをチームにもたらした。
今やリクイガスはまぎれもない超強豪チームである。
チームのパトロンに「金がかかってしょうがないですね」と言ったら、笑っていた。
来季は第2スポンサーが変わるみたいで、リクイガス・キャノンデールで行くかもしれないとのこと。
一方でマネージャーは「来季のバジェットは今年と同じだけど、違約金を払って出て行く選手がいるから」と、あまり気にしていない様子だ。

ブエルタでは世界選の情報はもちろんのこと、こうした移籍話があちこちで飛び交うのだけど、来季も継続・あるいは新たに発足するチームでも、実状はかなり危ない、実のところ実現不可能の噂があるところも存在することを、内情に詳しい人から聞いた。
まあこうなると、金のあるチームに良い選手が移るわけで、とても苦い思いをしている。
自転車レースは自転車レース。F1じゃないのよ。
そうした意味で、小さなチームで走っているにもかかわらず、今大会の立役者の一人となったモスケラにとても親近感を持っている。
まあ、通信社や新聞社の社カメを敵に回して自分がこの仕事をやっていることも影響しているのかも。

これから1週間、ミラノの家で過ごすけど、行かなくてはいけないところ、買わなくてはいけないもの、書かなくてはいけない原稿などなど、やること山積み。
帰りの飛行機はアスタナのガスパロットと同じだったけど、メルボルンでの世界選に向けて明後日には出発するそうだ。さすがイタリアチーム。砂田チームは日曜日出発です。
今日がクライマックス
今日がクライマックス
今回のブエルタで、アスタナの監督をやっているベッペ・マルティネッリの所に取材に行ってきた。
僕がこの仕事を始めた22年前、すでに監督をやっていた。
今のほとんどの監督は当時まだ選手だったのだけど、このマルティネッリ、カチューシャのパルサーニ、コフィディスのキルフェンらが、すでに選手を退いていて監督をやっていたと思う。

マルティネッリはプロデビューしたときはメルクスがプロ最後の年で、
「いっしょに走れることがうれしく、メルクスが立ちションしたとき、いっしょに横でやった」という。
当時の自転車界の話を聞くのがそのときの取材で、僕が
「メルクスはシャツを自分で手で洗っていたのか?」と聞くと、
「良い質問だな」と言ってくれた。

僕はジャーナリストではないけど、雑誌を主宰していて思うのは、現場に足を運ばないのと、歴史を知らないのはダメ。自転車の世界ではやっていけない。
そのマルティネッリはガゼッタの当時の記者たちのことを「昔は、もう若くてさ…」と懐かしんでいた。
そのうちの一人は今の自転車部門のチーフに、もう一人はガゼッタ全体の役員に出世した。
出生した方が昨日、このブエルタにやってきた。
ニバリの活躍にいても立ってもいられず、おもわず飛んできたのだそうだ。

今日のガゼッタ、僕が撮ったこのニバリとモスケラの写真を使っていたけど、小さかった。
いちばん大きな写真は、ゴール前の激坂。
アスファルトではなく、コンクリートみたいだけど、ちょっとビビった。
良いレースが見られますように!
雨のち快晴
朝起きると雨。
近くのバールに美味激安朝食セット(オレンジジュース、コーヒー、おいしい菓子パン。以上で1.7ユーロ。今日は2セット食った!)を食べに行くときも、合羽を着ていった。
そのあと、チクリッシモの原稿書き。今日は午後2時にホテルの近くをスタートだ。
でもチェックアウトのタイムリミットが12時なので、そろそろ出発。
で、外を見ると、あれっ、青空が!天気予報ではスペイン全土雨だったのに。
結局、用意していた長袖をやめて、今日も夏物で行くことに。
では今から行ってきます。
ブエルタだからお許しを
今はプレスルーム。
タイムトライアルのコースを走ってきたけど、まっすぐで広く、完全な平坦。
今日で優勝者が見えてくるかもしれない。

昨日の休養日、ジャーナリスト協会の会長様(僕はこの団体の日本代表)が、80キロ制限のところを83キロオーバーで捕まったらしい。
側近の話だと、“逮捕”されたよと。
でもブエルタだから、許してもらったとのこと。
今、僕のそばで平然とお仕事されています(笑)。

僕も昨日、婦人警官から駐車違反をとがめられたけど、ブエルタということで許してもらった。
まあ将来、日本でレースをやったとしても、こういう融通は絶対にありえないな。
許してやった警察官の首が飛ぶ時代だからなあ。
自転車以外のことが頭に浮かんでくる時期
昨日のステージが終わった後、バリャドリドに移動して3連泊。ちょっとした大きな町で、朝食はホテルを出て外で食べてきた。
ビジネスマンたちが出勤前によって行くおしゃれめなバールで、なんか久しぶりに都会に来たと感じだ。
オレンジジュースとコーヒーとクロワッサンをとったけど、1.7ユーロ。安い!バールのきれいなおねえちゃん、勘定を間違えたのではないのだろうか?

明け方はちょっと寒くなってきて、秋の気配が漂ってきた。
このブエルタのあとはまだ世界選をはじめ、数レースが残っているのだけど、頭の中はシーズン終了時のことでいっぱいだ。
1年でいちばんいい時期を迎える。
チポッリーニの家に行ったとき「自転車選手がシーズンを終えたときと、それから始まるホリデーはもう最高の気分」と言っていたけど、それは僕もいっしょだ。

でも考えてみると、1月からシーズンインし、10月でオフというこのサイクルをもう22年間も繰り返している訳で、長いようで短い。時の流れの速さを感じないわけにはいかない。

30代のときに「50歳になったら日本でスポーツカーを買おう」と決めていた。
来年のブエルタでそのときがくるわけだけど、10年前に日本で買ったクルマはまだ30,000キロしか走っておらず、車庫に入れたままなので、新車の匂いも残っている。
どうしたものか...。
シーズンオフの旅行のことも楽しみだけど、ときどきスポーツカーのことも頭に浮かんでくる。
そもそも、これ自体がシーズンオフに近づいている証拠なんだけど。
いろんな事件が起きる今回のブエルタ
このブエルタ、誰が優勝するのかはまだ見えてこないけど、けっこう歴史的なことが起きている。
ローラン・フィニョンやスカイのマッサージ師の死。
それから、そのスカイの全員リタイア。これは1991年のツール・ド・フランスを思い出す。
当時世界最強の力を誇っていたオランダのPDMが第10ステージでリタイアと不出走を5名も出し、そして残りの4名も翌日すべて欠場してしまったのだ。
チーム側は声明を発表したが内容は二転三転し、そのたびに信頼を失っていった。当初は食中毒と言っていたのだけど、マッサージ師もメカニックもピンピンしていたのだ。
だから、なんらかの薬物を摂取した結果であることは明らかだった。今から考えると、証拠のないものは罰せずという寛容な時代だった。
もちろん、今回のスカイは事情が違う。

それからアンディ・シュレクとオグレディがリースによって家に帰された事件。
重要なレースで監督の逆鱗に触れて家に帰されたのはちょっと記憶にない。
強いていえば、2001年のジロで薬物の所持を認めたフリーゴを、ファッサの監督フェレッティが家に帰した...というより、その場で解雇したことかなあ。
いずれにせよ、今回の件もけっこうすごいことである。

それから今日のアントンのリーダージャージを着てのリタイア。
1980年ツールのイノーのリタイアが有名だけど、僕はまだこの仕事をやっていなかった。
僕のキャリアの中では、1991年のツールでマイヨ・ジョーヌを着たデンマークのソレンセンがゴール近くで鎖骨を折ってリタイアしたこと。
本人は今、このブエルタにテレビの仕事で来ていて、今日も山頂で会った。
それから、1999年のジロのパンターニの失格。あのときもパンターニはマリア・ローザを着ていながらの失格だった。
今回のアントンの事故とは比較にならないほど衝撃的で、これが元でパンターニは死んでしまった。
ちなみに、そのときの審判が、今回の審判のメンバーの一人である。あの日、写真に撮ったから覚えているのだ。
選手に写真を送る
選手に写真を送る
自分の写真に選手からサインを書いてもらったのは、これまで数えるほどしかいないのだけど、先日、久しぶりにもらった。カンチェッラーラだ。
去年の世界選のTTのもので、自分でも快心の一枚だった。
いろんな国の雑誌に使われたり、スペシャライズドのコマーシャルにも採用されてかなりの国で出回ったのだけど、カンチェッラーラも自分の写真としてはベストで、パソコンの中に入れておきたいということで、メールで送った。

昨日の食事はラボバンクと同じだったのだけど、そこにペドロ・オリリョがいるではないか。
去年のジロのベルガモのステージで崖から約70m落ちて重体となった。
あの高さから落ちて命があっただけでも奇跡だと思った。
その時点で引退したのだけど、今年のツール・ド・フランスはプレス対応として、このブエルタでは1週間だけ、ラボバンクで働いているのだそうだ。
僕はあの現場にいた3人のフォトグラファーの1人で、しかもそのときに第2チームカーを運転していたメカニックもそのレストランにいた。
当時のことを話したのだけど、本人は写真が欲しいという。
嫌な記憶は忘れてしまいたいものかと思っていたが、しっかりと人生の出来事として残しておきたいのだと言う。
眠れないわ、回線遅いわで
おそらくヨーロッパでいちばんホテルの無料インターネットが多いのはスペインだろう。
しかし、今、泊まっているところはめちゃくちゃ遅い。なんか昔、音響カプラー(知ってますか?)を使っていた頃を思い出す。
ツール・ド・フランスで一回、クルマを盗まれてしまい、たしかあのときにいっしょに持って行かれたはず。
そのあと、モスクワにトラックのワールドカップの取材で行った2004年に、最悪の事態を考えて、音響カプラーではないものの、ホテルのゼロ発信からもつなげるという機械を買って行ったが、幸い使うことはなかった。
トラックにあるLAN回線が十分に速かった。
(このモスクワでパンターニの訃報を聞いたのだったが...)

しかーし、今日のこのホテル、いらつくくらいの遅さで、音響カプラーを思い出したのだ。
しかも、隣からコフィディスの選手のいびきが聞こえまくりで、朝早くから目が覚めてしまった。
しかたがないから、インターネットをしようとするとこの遅さでまたベッドに。
で、寝ようとするとコフィディスのいびき。
この繰り返しをすでに3回ほどやっている。
今は朝の6時だ。
アンドラから
今、アンドラに来ている。ピレネーの小国なんだけど、飛行機も電車もないから、自転車レース以外でくることはない。
それでもこれが20-25回目くらいかな。ツールやブエルタでほぼ毎年来ているから。
昨日はこっちの祝日だったらしく、毎回恒例の大渋滞がなかったのがなにより。

それからホテルもすごく安い。
今泊まっているのは、去年も使ったのだけど、4つ星でしかもすごく広い部屋。これが40ユーロ台だから驚きだ。
最初に来たのは1990年くらいだったと思うけど、5星のホテルで、部屋には巨大なジャグジーがあった高級ホテルだったけど、その安さにこっちが驚いたほどだった。
これはずっと昔からかわっていない。

今回のブエルタのホテルも今のところ全部いいところばかり当たっている。
僕ら自転車で食っている連中は
「チームが泊まっていなくて良かった」という話をよくする。
チームが泊まっていると、サービスがとたんに低下するし、レストランも混んでいて、ろくなことがないからだ。

でも昨夜は中野のところに遊びに行ってきた。
このアンドラもそうだけど、たとえばイタリアの選手がよく個人合宿するリヴィーニョ(ミラノの北方の町)も税金特別地域。国や町の税金が特別に安いのだ。
で、中野との自転車の話も、最後は節税の話で終わった(笑)。
チームも関係者も、高い税金をどうやって節約するか、頭を使うのだ。
国を離れて別のところで登録する選手やチームなどはその典型だし、小さなチームの選手の年俸が一律最低限度だったりするのもそんな理由だ。
想定外の大変さ
ブエルタでの仕事はもっとリラックスしてやる予定だったけど、実際に来てみると大変。
オーストラリアからも催促が来るし、昨日もフランスの選手が逃げたとあって、レキップから写真送れとご丁寧に電話まであった。
フランスでは逃げただけでニュースなのか!
いいニュースもあって、近々中国で雑誌が発行されることになり、もっと写真が必要だと連絡が入ってきた。
やっぱりこれからは中国の時代なのだろうか。

さて今日は休養日(移動日)。これから300kmほど移動する。
エイビスに激怒
エイビスに激怒
勝手に落ちたサイドミラーのせいで、クルマ交換のはめになったのだけど、50ユーロほど請求された。
クルマの整備不良が俺の責任かぁ。
受付の女は「おっしゃってることはよくわかりますが、ボスの命令で」と繰り返すだけ。
これが、一会社の説明かよ。

中野に怒りをぶちまけたら、
「あっ、エイビスは評判悪いっすよ」だって。
借りた俺が馬鹿だったか。トホホ...。
ついにアウディが
高速を走っていて、右のミラーを見たら、いつのまにかないではないか?
昔、イタリアで売られていた安いクルマ、例えばイプシロン10なんかは元々右のミラーがなかった。
だから、このまま乗り続けようかと思ったけど、やっぱり危なく、交換することに。
今日、写真の電送を早く切り上げて、ムルシア駅のエイビスに行ってくる。

しかし、アウディでこれかよ。
次は良いクルマ、いや、まともなクルマがあてがわれますように...。
苦手なもの
昨日の撮影でも、警察官が権力を振り回して、カメラマンをコースに入れず。
と思ったら、激坂の上の方で撮っている同業者は、コースの中に入っている。
各自がボスなのよ。
うーん、ブエルタがマイナーなのは、オーガナイザー < 警察 という部分がすごくあると思う。
で、今日もゴールで注意されたけど、たとえばジロだったら、警察官よりもオーガナイザーの仕切りが上で、こんな苦労しない。
もう死んじゃったけど、ジロのゴール係をやっていたパニッツァ(ジロで何度も大活躍した選手)なんか、若い警察官など罵倒していたくらい。
ジモンディが笑いながら見ていて、「パニッツァの言う通り」と野次っていたこともあった。

しかし、自分の警察嫌いがいつから始まったかというと、大学生のときに吉祥寺で原付に乗っていて、横断歩道を横切ろうとしたら警察官に止められて
「向こうの歩行者が見えんのか」と言われたときから。
「だって、ずっと向こうでしょ」と言ったら
「おお、裁判するか」と言われた。この時以来、今日に至るまでどうもダメだ。生理的にダメ。

だけど、これまで一回だけ、制服を着た警察官から「本を買いましたよ」と言われたことがある。このときだけは、その警察官を好きになった。でも、そのときだけね(笑)。